いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

考えたこと

ここ最近の毎日、ブログのタイトルを考えるのも大変という感じだった。別に大したタイトルもつけていないのに。自分が何についての日記を書いたのかがよくわからない。

今日はやっとそのことに気づいたから「考えたこと」というタイトルをすぐに書けた。自分が病的な状態(いつも通りではない)に陥っているかもしれないことは、すぐそばで見ている人というよりは一歩離れて昔から見ていてくれる人によって知らされることが多いようだ。

 

この本を読んだのだけれど、心に残ったのはこんなところ。

対話の技法

・対話とは自分自身への批判的眼差しを持って、他者と真理を目指して言葉を交わすこと

・対話とは「語る」と「聞く」ではない。そういう一方的なものではない。「問い」と「答え」である。問いは「あなたはこれについてどう考えますか?」というようなオープンクエスチョンではなくて「はい/いいえ」で答えられる問いでありたいという。自分自身が感じる違和感や意見をはっきりと表せる形で問う。

・「はい/いいえ」が返ってきたら、「あなたが言っているのはこういう意味なのですね?」などの問いかけを続けて、曖昧さや誤解をないように深めていく。

 

 

 

この本を読んだのは自分が、対極から対極に走るような考え方しかできなくなったからだ。常に南の端から北の端へ飛び交って自分を傷つけているイメージ。強くあらねばと、本当は弱いの極端にしか行けない。

子供が欲しいのと、子供なんか育てられないの対極にしか行けない。

お金をもっと稼ぎたいのと、お金なんかいいから寝ていたいの対極にしか行けない。

自分自身とゆっくり対話できない状況だ。

 

この本を読んで、なんとなく自分はいつも「将来についてどう思うか」とか「お金についてどう思うか」というようなオープンな問いをしていると気づいた。それは自分に対してもそうだし、他人に対しても。世の中のことが何もわからない時にはそのような問いを持って、世の中の大体のことを雰囲気掴むみたいな感じがいいかもしれないが、材料を色々と揃えた今となっては、「はい/いいえ」の問いを自分にかけてみても良いかもしれない。

 

田/あなたは今家がある場所に止まりたいと思っているのか。

畑/はい。

田/それは他の場所に行きたくないということか。

畑/いいえ。家があれば、旅行に行くことは楽しいかもしれない。

田/それでは家は別の場所にあっても良いではないか。

畑/はい。しかし知り合いが勝手に訪ねてきたり、親が一緒に住んで考えたり読書したりするのを邪魔するのは困る。

田/それは静かに暮らしたいということか。

畑/はい。静かに暮らしたいということです。

田/それは独立して暮らしたいということか。

畑/いいえ。他から独り離れたいというのではなく、自分のことは自分でやしない、自分の住処を持ち、自分の仕事を持ちたい。そして余暇を考えたり書いたり読んだりすることに費やしたい。

田/そのためにこれ以上の稼ぎが必要か。

畑/はい。もしくはすごく節約をする。

田/ものすごく節約することは受け入れられるか。

畑/はい。むしろ嬉しい。それが実現できるなら、私は嬉しい。

田/嬉しいの。

畑/はい。お金を余分に稼いでいないならそのこと自体も嬉しい。

田/借りている家でもいいのか。

畑/はい。借りている家がむしろ良い。日当たりが悪くなれば日当たりの良い場所に移れるし、騒音があれば移れる。

田/それでは家を買いたいというのではないのか。

畑/はい。買いたいのだと思っていたけれど、今ここに対話してみると、家を買わなくてもいいようだ。むしろ身軽でいることは大切のようだ。

田/家の中がこんなに散らかっていていいのか。

畑/いいえ。断然良くない。片付けなければいけない。せっかくの家が狭くなっている。

 

 

と実演してみた。はいといいえで答える問いをかけることは、ある意味力が必要で、答えたまま先に進むのは最初辛い。他の選択肢を捨てていると感じるからだ。でも他の選択肢を捨てないように開いた問いをした時、遠くまでは考えられない。モヤに向かって鉄橋をかけることはできない。恐れずにはい/いいえで答える時、真理まで一度でも近づくことができるのだろうか。

 

仕事に関連して読んだやつ

www.jstage.jst.go.jp

 

数式が書いてあってよくわからない。これは統計?機械学習とか言っているが、よくわからない。どうすればわかるようになるのだ。

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最後になんとなくですが、

「最近どう?」みたいな声かけしか受けない日々が続いているなと思った。これってあまり人の回答を聞く気分のない問いかけかもしれない。「最近魚つってる?」とか「今日はどんなコーヒー飲んだ?」とかそういう問いかけをする人がいなくなったのは、身の回りに私を知る人がいなくなったんだろうと思う。