いのちばっかりさ

その金字塔/ 心で価値を生みだすこと

東京に来て一年たった

東京に来て昨日で1年だった。旦那と去年の今頃はシーツしか届いてなくてカーテンもなかったし、シーツの上で二人で寝たよねと話した。よく生きてきたと思う。

 


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朝散歩してたら道にミミズが多くいた。外に出て汗をかく仕事をやりたい。


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彼岸の図書館: ぼくたちの「移住」のかたち
 

 

検査

病院で旦那の血液検査をした。基本食べる量が多いので減らす方向。給料がもらえて嬉しくて、なんだかんだ色々食べまくリ旦那に進めまくったらこうなってしまった。コレステロール、肝機能、尿酸値…すまん…。私もどうりで太るわけだ。同じもの食べてるから私も絶対なってるし…

 

一日あたりの食事の量の感覚を取り戻すために昼だけ冷凍の宅配ミールにしようと話し合い(私は弁当だけど)、また肉は脂身を避けることとし、一日あたりの摂取カロリー(1600k)・脂質(50g)は基準を超えないようにしようと誓いあった。

 

目覚まし時計を復活させた(旦那は目覚まし時計が嫌い)。やはり早く起きて健康的な食事を作らねば。散歩をせねば。

 

また布団からベッドに変更することを検討中だ。

 

皆さん、検査というのはしたらやはり良いものです。気づかないうちに体が変わっています。

 

都会で脂身になっちゃだめだ。ハイエナでないと。

 

太い道路を大きな音を立ててぬめって疾走していく

大きな道路をヌメッとした速さで疾走していくうるさいバイクのことだが、あれを聞くと父方の祖父母の家を思い出す。夜寝るときいつも貨物列車とバイクの音がした。近くには縄文土器の埋まった公園があって、お花見をした。祖父は展示が興味のないものだったので先に帰った。

 

残酷なことに私はもう数年来祖母を訪ねていない。恐ろしいことばかり話してくるから嫌になった。争いを好むのは老人の常で、平常心じゃない人にはつかれるけど、気の毒と思わないわけではない。みんな先に死んだのだな。

 

家族の中ではいつもつまらぬ小競り合いがあり、私は小競り合いについて意外に考えることがあるからいつも雑音として嫌に思った。

 

先日ヌメッとした速さで走っているバイクが発射するところをコンビニの前の道で見たのだが、背もたれを自分でつけているし、その背もたれに持たれて後ろに引っ張られながら加速する様はどう考えても気持ちが良さそうだったし、きっと背もたれが壊れて後ろに放り出され、脳がやられるその瞬間も想像しながらやっているんだろうと思った。二人乗りの後ろに乗ってる人はドMだな。

 

つまらない恐怖しか感じていない、今の自分はきっと他者に対してドS担ってしまうんだろう将来。あんなふうに苦しみながら楽しんでる方がいい。

 


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世の中で話題になっていたこのパッケージ、外から触れば大体の内容はわかる、というような思考で持って、このパッケージになってから買わないものを触る人が増えそうだなと思った。

私はこのパッケージ面白いと思う。このパッケージにしたら何がなんだかわからなくなるような、斬新な製品を作ってみろよと思う。

 

なんでもどこかで見たような、典型的な製品ばかりだなと、このパッケージは言っているのではないか。触って量を確認するくらいしかないじゃないか、と。

 

みんな他に考えることもあるしこれでいいんじゃないか。

銀行手続

運転免許の名字を直したので、やっと銀行の名義変更手続にすすめる。

給与口座が凍結されると困るので、早めに行う必要があったのだ。書類を作成してポストに投函して良かった。


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からあげクンレモン味を食べてみた。美味しい。いろんなコメントをいただき、ブログを続けるのが楽しいです。

 

サンマが食べたいサンマが食べたい。

社内規定で有給が9月末で消滅してしまうので、有給使い切りを行っているが周囲からの目が怖い…でも私は休みたいし、勉強もしたいし、旦那と病院にも行きたいのでそれにかまってばかりもいられないわよ。

痛風?の症状


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旦那が最近ずっと熱を出していて、それが多分痛風とかリウマチ系の熱だと思う。毎月痛風みたいな発作が起きているので生活がうまくできない(基本痛すぎて立てないので、寝てるしかない)。病院に行こうと思う。

歩いても足痛くならなくはなったのだが、基本的な症状はあるので苦しんでいる。

ちょうど休みをとったので、病院の予約を取りたい。
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運転免許の期限が切れてしまって、名字も旧姓のままで書かれている免許書を持っている場合どうすればよいか。※旧姓併記してもらう場合※名字変更

  1. 区役所へ行って戸籍謄本発行700円?
  2. 戸籍謄本に旧姓併記してもらう(戸籍謄本は回収される)
  3. 旧姓併記した住民票を発行300円
  4. 証明写真 3×2.4センチを用意する(ピクチャンというウェブサービス使うと200円で発行できるし便利)
  5. 免許センターに行く(更新料とかいるので一万円札くらい持っておく。住民票と免許書も持っていく)
  6. 住民票を出して旧姓表記をお願いする。そしたらなんか書類に旧姓を書かされる。住民票は回収される。
  7. コロナで大人数での研修に来るの控えてたら期限切れた旨説明する
  8. 講習うけるなど指示に従う
  9. 免許発行完了

 

※旧姓併記不要の場合、普通の現在の住民票を持っていけば足りる

免許更新

長い列が作られている

私たちは収容されます

地下の食堂にはいつもの基本的な食物

松の枝は短く

台風が海の向こうに近づく

人間がすべてのものを信用しないとき

到底やっていけないなどというが

やっていけないか

現実に自分では確かめない

霊園の周りには

石伐屋がおおい

まるで中国の田舎の道端のように

ガラス戸の奥はお茶会になって

アクアリウムには青い光が入って

私に何かをやりつくせと

元気を与えている

 

 

 

すっきりした

お風呂の中で本を読んでいて、「学生に、自分の人生で自分で決めたいことは何か、と訊ねると…」みたいなくだりがあった。その話は日米の比較の話だったのだが、自分でも、「自分の人生で自分で決めたいこと)」は何かを考えた。

 

私は「誰と過ごすか」と、「いつ死ぬか」を自分で決めたいな。

 

よく考えたら、自分は「なんのために働くか」についてとか、「いくら給料をもらうか」を自分で決めたいとは思っていないことに気づいた。今は旦那と過ごしていて、その生活のためにはこのくらい給与が欲しくて、とか考えていたけど、旦那と過ごす時間はどんどん減っていった。そしたら逆に今度は、この給与より安いところでは働けないから、とか、給与が下がったら困るから、とか考えだした。でもそれはおかしくて、旦那がもし病気になったら病院に行かなくてはいけないから貯金をしなくては、とかも考えてるけどそれもおかしい。

 

まず考えるのは「旦那と過ごす時間が減ってるけどどうしたらいいか」だと思う。また最近自分は職場の環境が悪く、仕事の愚痴を家でも言ってしまっている。こんなのもおかしい。

 

自分で決めたいのは誰と過ごすかといつ死ぬかだけなのだから、あとはそのシチュエーションごとに手に入るものでなんとか工夫するのがいい。

 

なんかなんのために働きたいとかやたら話していたけど、違和感がすごかったのはこういうことかなぁと思った。

 

「自分」の壁(新潮新書)

「自分」の壁(新潮新書)

 

 

ポッドキャスト ウェブフォント

今週のお題「おじいちゃん・おばあちゃん」

ポッドキャストを聞いていると、人間がどんどん声のイメージになっていって、その人の顔を見たことがあると、顔も見たことがあるぞというきもちになってくる。でもなんとなく、声や話し方を工夫して、みんな自分をウェブフォントのように操っている感じもする。

 

Youtubeは動画そのものも面白いけどコメントも面白い。

 

今はインターネットに載せて自分を残すことができるけど、自分の親世代とかはそういうこともあまりなくて、自分が生きて流れていくだけでどこにもそれを残せないという感じをずっと味わっていたんじゃないかと思った。だから一生懸命に仕事をできたのかもしれないとかは思うし、だから生殖して私たちを残したのかなとも思う。

 

たぶん私が生まれてから一般の人にもインターネットというものが使われ始めたけど、自分の父親は死ぬまでそれをあまり使いこなせていなかったし、Excelさえ結構危うかったのではないかというスピードでタイピングしていた記憶がある。母はSNSを最近使っているけど、全然使いこなしている感じはない。インターネットが普及してからもしばらくはそれと隔絶して生活していた人たちだなと思っている。そう考えると、たぶんブログとかは書いていなかったのだろうと思うし、人生が流されていくように感じはしなかっただろうか。本を作っても捨てられてしまうかもしれないし、愛を伝えても別れてしまうかもしれないという状態で、自分の愛をどこにも残せない状態だったにもかかわらず、夫婦が分かれてしまったということがいまだにちょっとすごいことのように思える。また父に至っては親族と縁を切る程度に隔絶していたし、流されていく人生の記録を一体どんな気持ちで受け入れていただろうか。そして父が死んだとき語られなかった情景や記憶はすべて一緒に葬られた。もしインターネット上のどこかに父のそれらが残されているなら、私にとってどれだけ貴重なことであろう。誇張され虚偽が記されていたとしても、残っている。

 

私はもう最近、この日々は二度とこの世界に発生しないと感じていて、動画も残したいし、ブログも残したいし、ポッドキャストを残したいと思っている。その時々の現在の自分だけではなく、過去の自分も残すことで、将来どこかの誰かと、今現在だけではない自分が交わればいいと思っている。私たちはコミュニティを失ったので、過去の自分を覚えてくれる人はいない。インターネットがそれを覚えている。こういう発信のためだけではなく、記録のためでありながら発信のためであるような公開をなんというのだろうか。広角発信とでもいおうか。

 

最近祖父の家の遺品を整理していて、その中には曾祖母の遺品も含まれていた。その中には曽祖父が出征するときに用いた日の丸の旗が含まれていた。流されていく人生のことを思い、これを残した曾祖母はどのような人物だったのか。流されていく人生の中で、私はその旗を骨とう品やに売る母の話を聞いた。コレクター向けに意外と高く売れるから買い取って行かれたそうだ。母は祖父のアパートの一室を相続したのだが、きっと都内に家を持つ最後の世代となるだろう。世代を重ねるにつれ、どんどん物を失って土に返っていくしかない私たちであるよ。その代わりインターネットの中で私は保存される。インターネットの中に人生を残す。そのことが私の人格を形成する。

 

遺品の整理をしていたとか言ったけれども、遺品の整理は4回程度であっさり終わった。引っ越し業者のトラックに載せて、それらは処分場へ運ばれた。母は家賃を払って生きていくことにつかれたと話していたが、私も一緒につかれていたのだとはお話しできないし、これからも私は疲れていくんだ。東京を離れる日まで。もしも私にもインターネット以外に自分の気持ちを生活を置くことのできる場所が手に入れば、それがどんなに適切なことか、到底お話しすることもできない。どうせ死ぬけど。そうどうせ死ぬから、ほしいなら家を買えばいいのだ。でもそんな気持ちにもならない。定住している自分が想像できないため。小説を書きたい。短いものでもいい。死ぬとき消えたくないし、この日々を残したい。でももし死後の世界があるなら、残すものだけではなく、持っていくものとして、私は旦那と二人で何をもって違う世界へ行けるだろう。

毎日の労働

毎日の労働がとにかく辛くて、毎日川の美しさとか山の雅さとかを見ないでオフィスにこもりきりと言うことが受け入れられない。自分の仕事について、自分の仕事の未来についてだれかと話すこともない。

 

20歳を超えたらみんなこれ以上身体が発展していくことはほぼない。いままで成長してきた体を使って死ぬまで生きていく。死ぬということをいつも子供のときから考えていて、生きるということより死ぬことが気になっている。死に魅入られているみたいな感じ。廃墟の動画を毎日のようにYou Tubeにアップしているような人がいて、その人が廃墟に魅入られているのと同じだと思う。

 

それは特異なことかもしれないが、自分としてはごく自然に生きてきてこうなったのだから、それでどうしようもないと思われてもどうしようもない。

 

最近都心で仕事をしていて、自分の手元には何も残らないのを感じる。自分の経理の仕事は、会社が大きいから必要なもので、もし会社が小さければ必要ない。でも会社が大きいからと言って、みんなが会社の規模を大きくすればその分サービスの質を上げられると言っているようには進んでいなくて、大きいからこそむしろ世の中に余計な迷惑を生み出していると思うことが多くなっている。この会社で働いていると、自分は引退した後、仕事で人を笑顔にした思い出が一つもないまま過ごすことになる。

 

大きい会社のバリューとは何なのだろうか!

 

私は小さい会社に戻りたいなと思っている。

給料がほしいけど、給料のためには働けない。給料をいくら稼いでもどうせいつか死ぬとともに、家さえあれば月に15万円も稼げば貯金もでき、健康な食事もできるということをわかっている。今家はないのだが、家を買うことはたぶんもう数年すれば可能だ。かなり古いかなり不便なものであれば。家がない場合でも月に22万円程度稼げば暮らすことは可能だ。

偶然にも1年前の自分の写真を見て思うことは、明らかに老けたということである。これは今の生活が体に悪いからだと思う。オフィスに座りきりで仕事をしているので、かなり体に負荷がかかっていると思う。私は発達障害を持っているので、あまり体を弱らせると、この症状が顕著に出てきてしまって、仕事もうまくできなくなってくる。現に今ちょっとそういう状態であると思う。

 

会社の状態もかなり変わってきていて、入社時にこの人いいなと思った上司や同僚はどんどんやめてしまった。会社の雰囲気が明らかに変わっている。そして偉い人は何を考えているのかわからないし、驚くほど偉い職位の人がやめていく。偉い人のくせにさっと来てさっとやめていくのは本当におどろく。そんなものなのだろうか。

 

この会社を退職したら自分には何も残らないと思うので、転職をしたいと思う。

 

ここ1か月くらい、本当に、ほかに私に言うことがないからこんなくだらないことを言われるのだろうというようなことを私に対して上司が言ってくる。割と若い人なのに、人の苦手なことを一生懸命に直させようとし、それは実際のところは発達障害による苦手なので、直すことができないのだが、良いところを伸ばそうとはしないでひたすらここが苦手だここが苦手だと言ってくる。

 

こちとら苦手ということが分かっている。短期記憶が弱いのは発達障害由来だ。本当に疲れたなあ。けどこれは上司が悪いのではない。上司というのはこの程度のものなのだ。私はわかっている。自分で得意なことが伸ばせる場所に行かなければいけないのだ。一番問題なのは、私が今の会社の方針には一切賛同しないし、仕事内容も全く興味がない(消え去るなら消え去ったほうがこの世の中がましになるだろうと思えるような仕事だ)と思っていることだ。そういうことに人生を費やすのはおかしい。

 

私はやはり食品が好きだなーと最近切に思う。

食品は最高だ。おいしいものであれば人を幸せにできる。

 

今の仕事では、ほかの小さな会社が参入すればもっとおいしいものを提供できるところを、かえって迷惑を生み出して参入しているというようなことをやっていると思う。また自分でもどうなのかと思うような仕組みも多い。なんとなく誠実じゃないと思うのだ。まっすぐにつながる商売のほうがいいじゃないか。くわしくはかけないが。

 

今の会社では小さな同業他社を買収してさらにシェアを広げるという方針だが、基本的に不可能だと思う。地方で働いたことがあれば、おのずからわかってくることかと思うが、私たちのような業種では、地元のつながりある業者に委託する場合が多い。それに料金だって安い。とても安い。親戚同士で委託しているようなのもある。そういうところを買収して、挿げ替えたところで、それらの会社よりもおいしいものを提供できるのか、安いものを提供できるのか。後者に至っては全然無理だと思う。抱えている社員の数も違うし、ひとりひとりの人件費も違う。かといって人件費を下げるとしたら、大きい会社ならではの煩雑でストレスフルで裁量のない仕事からは、いかに弱小労働者といえども逃げる資格を持っている。

 

というかもし同じ人件費で、今までよりもハードなつまらない仕事をさせるなら、そんなことおかしいのだ。そんな会社くそくらえだ。

 

 

どうせ死んでいくなら、自分が正しいと思っている仕事、人を笑顔にできる仕事をして死んでいきたい。今この時も明らかに自分は死んでいっているし、死に向かって歩んでいる。一刻の猶予もない。

 

確かに転職を繰り返すことはよくない。

一つの仕事をやっていったほうがいい。わたしもそうしていたい。けれどこういう転職が原因で、最後肉体労働をしたり、仕事がなくなって生活保護などで生活するとしても、オフィスで意に沿わない仕事をして気持ちを病むよりいくらかましではないか?

 

年を取っていくのはあまりにも早い。最後は死ぬのだ。

大事なことが分かった。転職を考えるには長い休みが必要。あと今度はちゃんと観察して、本当に行きたいと思う会社に応募すること。