電車に乗るとき最もストレスを感じる。「コロナ 退職」という意味のない言葉を検索している。
仕事をやめたら、疫病が流行ったらやめる人ということになり、雇用されないかもと思う。私に雇用を生み出すことができればいいのに。みんなを守りながら雇用も守れればよいのに。
次の十年はそういうことができる人間になる。今の自分は本当に無力だ。
電車に乗るとき最もストレスを感じる。「コロナ 退職」という意味のない言葉を検索している。
仕事をやめたら、疫病が流行ったらやめる人ということになり、雇用されないかもと思う。私に雇用を生み出すことができればいいのに。みんなを守りながら雇用も守れればよいのに。
次の十年はそういうことができる人間になる。今の自分は本当に無力だ。
どうも自分はフラッシュバックということが一般的な人より多い気がする。それがもとでつい書きすぎてしまったり、つい食べすぎていたり、つい歩きすぎていたり、つい遅くまで起きすぎているきがする。つい防御的に話しすぎてしまったり、少し危ういことがあると、昔のフラッシュバックとつなげて過剰に直そうとしたりしている気がする。おふろに入ってるときにはフラッシュバックがないようだということに最近気づいた。
暖かくするのが良いのかもしれない。
フラッシュバックの内容は、学校や職場の内容が多い。自分がうまくできなかったことや、それについて言われたことを思い出すのが多い。
昔のフラッシュバックは、そのうちに思い出さなくなり忘れてしまう。そしてもれなくまた新しいフラッシュバックのネタができる。昔のは今ではおぼろげな光景として思い出されるだけだ。それらのおかげで時には勉強しすぎることもあり大学に入れた気がする。
みんな普通にそうなのだと思っていたが、一日に何回もいきなり静かになって鬱っぽくなったり、ワーなどと声を上げたり、紛らわすために様々な合言葉を言ったりするのは普通ではないらしいことが最近わかってきた。
何回も繰り返すとかえって忘れなくなってしまうからやめようとしてもふとした瞬間、例えば明日にはまた仕事だから朝メールをチェックするだろうと思うときなど、思い出してしまう。強い雑音のようなもので蜂の大群のように体の中をぐるぐると回る。
子供の頃からそうだ。けどここで折れるわけには行かないと思う。
これまで給料に波があり給料が低くなることは度々だったが、以前より通勤に時間がかかっており、消耗が激しいことが、問題になっているとおもう。
家の近くで仕事を探したい。この性質のおかげでなんとかしてきたところもあるけれど、継続ということと相性が悪いようだ。また、人生がだるい。山奥の小屋で生活したいなどと思うのには根底に人との関係においてフラッシュバックしやすいという性質があると思う。なんにしても自分の性質についと常に見守って考えることは大切だと思う。
会社の仕事がどんどん少なくなってきていると感じる。まるで地方の工場にいたときのように感じる。
次転職する前には半年くらい休みをとって、旦那と極貧旅行をしまくるぞ。
最近期限が悪くなることが多くて、でもそれは旦那に対する甘えの良くない表し方なので、積極的に期限良く過ごすことにしました。
不機嫌になどならなくてもいつも支えてもらっているので幸せだということはわかっているのだし。
睡眠が不規則になっていて、なんか微妙。眠気がすごい。
飛沫感染というものがあるのは感覚的にも理解できるし、マスクをするという行為で感染者が減るのなら、こちらはマスクを購入してつけるだけの行為なので、簡単だからやればいいと思った。マスクをつけることで飛沫の飛散を防ぐことができるので、ウイルスの拡散も防ぐことができて、意味があると思う。
確かにマスクをつけている人に対面すると表情が読めなくてつらいみたいな人もいると思うが、それで死ぬほどつらい人は非常に少数であると思う。人の死や医療崩壊というような大きな被害をマスクをつけるというだけのことで減らせるのであれば、それをやらない人はどうか考え直してほしいと思う。
コロナウイルスは風邪やインフルエンザと同じでないことは明らかで、なぜなら私たちはマスクを最近よく着用していて、そのためにインフルエンザの感染数は1000分の1(昨年比)になっているらしい。にもかかわらずコロナの感染者数は逆に増え続けている。これはマスク着用はコロナに対して意味がないのではないかということではなくて、マスク着用しないとマスクをしてもこの程度にしか抑えられないコロナウイルスの感染はさらに拡大するだろう。インフルエンザとは全然違うものだし、インフルエンザより強い。またコロナウイルスの症状を「風邪のような症状」と最近よく言っているのを聞くけれど、それはどちらかといえばインフルエンザの症状の説明だと思う。コロナウイルスは風邪のような症状も出るけれど、インフルエンザとは違い各種臓器にも炎症を起こすウイルスである。
ドイツでは1日の死者数が1000人を超えた日もあった。
自分や家族は健康でも、一緒に電車に乗っている人は基礎疾患があったり、その家族は基礎疾患がある場合もあるということに考えを巡らせてほしい。例えば薬の副作用などで常に肺の一部が肺炎みたいな症状になることがあって、そのような人はもし風邪やインフルエンザにかかると急性憎悪といって一気に肺がやられてしまい、呼吸ができなくなって死に至ることがあるらしい。そのような人が、コロナウイルスに感染したらどうなるか、ということを考えてほしい。また尿酸値や血糖値の高い人はたくさんいると思うが、そのような人がコロナウイルスに感染すると重症化しやすいらしい。
私の旦那は尿酸値が高いので、感染すると隔離されて会えないうえに重症化しやすいのではないかと心配だ。今日は近くに飛んできたキジバトを二人で見て、いつも通り二羽で過ごしているのを見ていろいろ話をしていたが、このような話ができなくなるのではないかと心配だ。心配というか、本当にそうなったらどうしてくれるのかという気持ちだ。
痛風のある人はコロナウイルスにかかった場合に肺を含め、複数の臓器に通常より過剰な炎症を起こしやすい。
また尿酸値や血糖値が高い人がいるといっても、生活習慣だけの問題ではなく遺伝などの影響もあるので、そのような人が急に改善することは遺伝由来の場合は困難であろう。この点は全く自己責任でないうえに、糖尿病なんて50代にもなれば全体に対して10パーセント程度の人は糖尿病と指摘されたことがあるのではないか。
https://www.mhlw.go.jp/content/000711007.pdf
私の仕事は飲食に関係のある仕事だが、もし自粛期間が長引いて、会社がつぶれるのなら、それは仕方のないことだと思う。それによって仕事がなくなっても、商売というのは本来人のために行うサービスによってお金を稼ぐことだと思っているので、無理に商売してそもそもの人を殺しても仕方がない。避けられない社会現象によって飲食店がつぶれるのは不幸と思えるけれど、私はそれによって失業してもそのことを受け入れたい。失業してもこの国では自己破産や生活保護の制度が整っているわけだし、絶望することではない。
現在の普通のサラリーマンは、もらった分のお金から一定のお金を積み立てたり、家を買ってローンを払ったりしながら、それがお金さえ払っていれば守られ奪われないものと信じているから、失業するのを過度に恐れたりするのだと思う。けどねているだけでものを奪われたり、袋叩きにされたりする文化の場所もあるわけであって、そのような人は今月は運が悪くて奪われたと思って、またすぐに歩き出すだろう。ただ頭を切り替えればいいだけだ。
人命のためなら喜んで会社もつぶれてくれ、失業しようという気持ち。専門家の助言をきちんと受けて、やるだけやってもらいたい。つぶれるならばつぶれろ。解雇されるなら解雇されてやる。貧困になるなら貧困にしてくれて構わない。再起不能にならないために今まで税金を払って社会保障制度を支えてきたのだからという気持ち。国家の意義を見せてくれの気持ち。
国としての力がどれだけ経済の面で滅びても、ある種の人をどうせ弱い体の人間だからとか年取ってるとか疾患があるとかの理由で見捨てるような選択をしたら、私たちは明るく生きていけないだろうと思う。そんな国なら、今まで批判してきた国と変わらない。都合のいい時だけ人命の尊さについて説く国になってしまう。この国の憲法も、教育も、人権も、腑抜けになってしまう。
自己破産、失業、そんなことは死ぬようなことではないです。そして私は将来的にそんなことで人が死を考えることなんかなくなるように、みんなのために住む場所を作りたい。ちなみに今でさえそんなことは自殺を考えるような内容ではなく、なんとなく世間にそういうときは自殺を考えるような風潮が生まれているというだけで、それに沿って死ぬことはない。自分の命くらい、自分で守って元気を出そう。こうなりたいと考えることだけして、こうなりたくないとばかり考えるのはやめよう。どうなっても生きている限り、またやればいいので。27歳。
真夜中に一輪買った花を見ていた
くたびれたような枯れないような
微妙なバランスの花だな
上を向かせようとすると滑らかに戻る
この後ろから見た
項の様子などは母だ
くたびれたこの肌といえば
触ると冷たく
戻るとき横に首を振る
女の象徴のような花
首を立てに降って欲しいと
強く願った
首を縦に振ると
花も首を立てに振るった
なおも縦に振ると
縦に振った
激しくひとしきり縦にふれたあと
ラナンキュラスのピンク色の花は
身をよじり隣の雪化粧のサボテンに
思いの丈吸い込まれていった
排出されるように
夜のサボテンの中に身を打ち付け
花は消えた
まだ緑の蕾を何重にも隠していた
サンウェーブ製の流しに
指が凍りついている1月
ゴミ袋の裏からは呼吸が聞こえつついる
左ひじが痛んでくる
昨日のブログにアフィリエイトの広告つけませんかという勧誘が来ていた。全く記事の内容に関係がない。テレワークしたら仕事終わったら散歩行けるし、すぐ勉強できるし、シャワーにも入れるし、お茶も好きなの飲めるし本当に最高だと思う。
でも実際にはテレワークをしない人とテレワークをする人の間で仕事の割り振られ方に差が生じて、最後にはテレワークをしている人はあまり仕事がなくなって、何かのときに解雇とか異動とかの対象になりそう。
とはいえ資格も持っていて、仕事をたくさんやった人は転職していく傾向にあるので、テレワークをやりながら資格もとっていけば、そのうち資格がないと任されない仕事は回ってきそう。自分でも仕事しようと思えばもっとちゃんとすべきところはたくさんあるし、異動するならまた違う部署で資格とか取ればいいし、解雇されるなら学校に行けばいいやという気持ち。
本当はもっと本気で仕事したいが、本気で踏み込むとめちゃくちゃ沈み込んでしまう感じの整備されていない環境なので、まず薄氷を踏む気持ちで知識をつけながらやりたい。
景気が悪くなってきたら、お米さえあれば大丈夫みたいなことを思って、お米を20キロも購入した。