いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

人生において報われている状況は固定されない

自分は人生において報われたと思って、もうあとは他者のために生きようと思っても、残業が増えたりブラック環境になったりすると容易に砕け散る。閑暇こそ大切だと思う。健康と閑暇のために労働していると言ってよいのに逆の状態になるとは。いや閑暇のために労働してるなんて思ってなかったけど、閑暇がないと労働してる意味がないと感じるから閑暇は大切だと思う。全然旦那と晩ごはん食べれないし、今日何食べた?って聞いてもしっかりわかるまえに眠くて仕方ない。進歩がない。

 

下っ端は出勤するべきという人がいるけど、長時間労働するべきという人もいるけど、それは芸術家になりたいなら作品をいっぱい見て勉強しろと言ってるような感じ。そうやって育つばかりが芸術家じゃなさそう。自分でゆっくり考えることも大切そう。体力がすごいある人は長時間労働することがいいかもしれないけど、生物として肉体が最優秀の部類に入らない人は違う方法でやる必要があって、その方法を常識がないとかいう理由で叩き潰すのはひどいと思う。そんなところに身をおいてはいけない。弛まず自分のできる限りで近づいていくことしか個人にはできない。

 

この本の作者、哲学者?だけれど、この人の授業が放送大学でやるようになるので、嬉しいと思っている。この人の名前、信留と書いて、のぶると読むらしいけど、名前からして哲学者ぽい。頭を使ってつけた名前という気がする。