いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

人生において二度目に名字が変わった 

私の苗字にするという話もあったのだが、結局旦那の苗字にすることにした。苗字を変えることにはいろいろと面倒くささがあって、でもその面倒さの大半は会社に届け出るとか、銀行の口座かえないといけないとか、仕事全然できていないのに結婚したとばれると気まずいのではないかとかそういうくだらないことなので、そういう社会的なことと私の人生はあまり関係ないだろうと思う。婚姻届けを提出する日程についても、代休が取れる平日に行こうと思っていたのだが、代休申請をしてそれを先輩が認めた場合にだけ婚姻届けを出せると思うとなんか違う気がしたので、急遽休日に婚姻届けを提出することにした。急に予定を変更したので旦那は怒っていたのだが、私はそれ以前に私の人生に社会的な要素が干渉してきたり、様々な事象がお仕着せがましく、してやったり顔してくることに猛烈に勝手に一人でキレていたので、しかたない。

 

苗字の件については旦那はうれしそうなのでまあいいかと思った。

私は人生において苗字が2回変わった。

1回目は両親の離婚の裁判が終わったとき(調停では決着せず裁判になった)。その時は自分はまきこまれるのが嫌だったし、苗字を変えたら今までに書いてきたブログに公開している名前とも違ってしまうので嫌だったから、前の苗字にしたかったのだが、一緒に住んでいる家族と苗字が変わることの面倒さと、前の苗字を維持することで、もう片方の親の家族に親愛の念を持っているのだと思われるのも全く実情に合ってないことなので、ひたすら自然の流れに従って、苗字を変更した。

 

この度の結婚のことは自分の親には話していないが、いつか話す日が来ると思う。私の結婚は親が思うような意味の結婚ではない。それに親がそれを聞いて何をするかは完全に未知数である。正直精神面において静かにしておいてほしいと思っているので何も話さないのが一番いい。どんな言葉をかけられても、家に突撃されるなどしても、最悪な気分になって人生の門出がむちゃくちゃになってしまう気がする。当然自分の結婚は親のそれとはまったく違う結末まで結ばれあって終わるべきもので、死後の世界があるとすれば、そこでも毎日朝食を共にしようというもの。

 

今日トイレに行った後、自分が借りている部屋のトイレをよく観察した。天井は低すぎなく、暗くないように窓がついており、素晴らしい設備だ。便器の内部も汚れがこびりつかないようにコーティングされているらしく、全体的に大丈夫だ。この家を借りられるというだけで自分の実力は今の年齢には十分だと思う。

 

この実力が全面的に会社に依っているということは本当によくないことだと思う。

 

最近経理の仕事はかなりよくわからなくて、こまっている。

それに短期記憶が要求される業務内容なのだが私の短期記憶はほぼ0だ。このままではだめで、会社が無くなっても生活できるようにしなくてはいけない。一回最初から最後まで自分がやる仕事を一緒に見てやってみてくれればと思うのだが、失敗させて覚えさせる方針らしいので、そういうのが苦手な自分はこまっている。

 

とりあえず簿記の勉強頑張らねば。その後受けたいと思っている試験があるので、頑張りたい。何事も倦まずに続けることが大事とか本居宣長が言ってた気が。生きていく限り悩みは尽きないんである。それを着実に解決していこうとするか、放置するかは自分が決めることである。家の近くで働きたい。練馬とかでいい仕事あれば紹介してほしい。

 

ちなみに私たちが結婚したのは梅の花がほぼ全部落ちたころの日。二人で次はさくらの季節だと話した。

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 下のリンクは銭湯にあるケロリンの桶の話。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/faruawpsj/50/12/50_1265_1/_pdf/-char/ja

 

月曜日はうつ病で公務員を休んでいた友達がリハビリ出勤する日だ。私と親しくしてきた人、見渡す限り無事に社会人として機能してはいない。社会が私たちに無理強いしすぎなのだ。私たちは真に受けすぎなのではないか。

今週のお題「卒業」