いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

疫病のときの解決方法

疫病のときの解決方法といえば、コロナウイルスの流行を実際に体験して思ったこととしては、人間が来ないところ、そして人間がいるところから歩いてくる生き物が来ないところに自分を隔離するのが一番良い方法だということだ。

 

なんというか、自分で食べ物を作って自分で食べるようなことができる人が一番よいではないか?戦争のときも農家は飢えなかったというし。

 

ある時期都会の人はかなり別荘を好んで持っていたみたいで今それが安く売られてたりするけど、あのようなものにそれなりのお金を払っていた背景には戦争の記憶を持つ人がそれなりに多かったせいもあるのではないかな?と根拠なく思う。ある程度逃げる準備をしておくということが国に頼らない生存の方法として安心感を与えていたのではないか。

 

いくらお金を稼いでいても、いつも住まない場所にも家を作るなんてなかなかエネルギーのいる行為だ。

 

最近車を持たない人も増えたというが、車だって急な戦争があればできるだけ多くの家財や人を運んで逃げることに役立つ。そういうものを欲さない人が増えたのは、戦争がない日常を信じる人が増えたのかなと思う。

 

夜と霧を読んだのだけど、結局精神的に事象をどう捉えるかによって、体力の消耗や精神の摩耗を抑えることができても、物理的に自分を遠くに逃がすことができなければ根本的解決にはならない。

 

最近気になっている機械が意外と安かった。

HPT-30B 水道加圧装置用受水槽 1台 荏原製作所 【通販モノタロウ】

 

このところ思うことは、私達の世代は子供を持つには貧しく結婚するにも貧しいという話がよくネットニュースで出ているけど、むしろ貧しいから結婚すれば家賃が安く抑えられたりするということ。一人が洗濯をしてくれれば天気が微妙な日でも見といてくれたらいいからドラム式洗濯機を買わなくて済む。早く帰って掃除をしなくてよければちょっと辺鄙な家賃の安いところにも住める。そして妊娠出産育児ができなくなったという点については、社会や風潮が稼ぎ手としての子供を生むことを倫理的に禁じてしまったから負担にしかならない妊娠出産育児をできなくなったと思う。子供は独立した個人だから稼ぎ手として育ててはいけないという考え方をもって子供を生むことは、一般の人の考え方では不可能だと思う。

 

自分の体が衰えていくのをカバーするために新しい世代を生産し、次はその人たちの稼ぎで食べていく。国は年金を十分に出せないのに次の世代に養われることは良からぬことと捉えるようにした。それでは無理だと思う。それでは私がいま親を養えるかといえばそれは無理である。なぜなら私より親の世代はずっと裕福で、若い頃から稼げたのであり、すこしは相続をしており、他方私達の世代は給与が低く、物価は高く、そしてこれから受け取る給与も親や親族を養うことを前提にはされていないからである。