いのちばっかりさ

生きている記録。生業。通信制大学。天平の甍、生の短さについて、狼煙

東京

東京行って、田舎で暮らしたことで自分がちょっと変わったと思った。

街を歩く時、

都会では「私は街を歩いている」

田舎では「私の歩くところに街がある」

 

圧倒的な人の多さと、上を見ても空がちゃんと見えない過密な環境ゆえ、街に弄ばれ歩き回されているような気がしていた学生時代だったが、今改めて東京を歩くと、

「私は街を歩いている」と「私の歩くところに街がある」の中間みたいな感覚になっている。

 

目的は果たしつつ、目的に関係のないところはあえてみなくて良いのだという自由は理解しながらも、やっぱりちょっと街に弄ばれ歩き回ってお金を使ってしまうようなところもある。