いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

刺激のあるところに集中

昨日の日記に貼ってある『貧乏入門』という本を読んだのですが、ある種の無理しない貧乏系低刺激啓発本という感じで、ジャンルとしてはphaさんの『頑張らない練習』とか『年収90万で東京ハッピーライフ』とかを好む人が読む本だと思う。最近こういう本にハマっていて、歴史上のこういう本を全部読み尽くしたいと思うくらいである。ガツガツ系じゃない啓発本おもろい。

 

わたしはなんだかんだ清潔な家を用意して旦那と住む必要があるので年収300万くらいほしいのだが、やはり達していない。額面月給24.5万だと手取り20万くらいで、そのうち7万は家賃。のこり13万が手元に残る。正直このくらいの給料をもらうために往復2時間以上通勤するのなら田舎で手取り18万の仕事をすればいいのではとおもうが、田舎で手取り18万という仕事はなかなかないのだ。田舎で働いていた時4年目の先輩が手取り16万ちょっとだったと記憶している。わたしは手取り15万くらいだった。

 

前働いていた工場ではまた労災が起きたらしい。指が飛んだらしい。わたしは勤務していた当時工場の事務所にいながら、自分の問題じゃないからいいやとは思えなかった。とはいえ、自分が職場を離れてからでも、ただただ悲しい気持ちだ。

 

世の中にはわたしに向いている仕事があるのだろうか。前は製造業で働いていたが、いまはサービス業で働いている。製造業だと最終成果物が手に取れる一方、サービス業はそれが曖昧。曖昧でない特化したサービスもあるだろうが、(松屋の牛丼などは、もはやそれが手に取れる製品レベルに完成され認識されているので働いている身としては製造業の感覚に近いかもしれない)わたしの働いている会社はそういうのではない。

製造業で働いてた時はみんな製品を作るという共通の目的がある。けどサービス業にはそれがないので、みんなの目的は給料とか、認められることとかになっていき、サービスの質を高めるのに関係のないところで好みでサービス残業をしたりする。わたしにはそれは理解できないし、目的の共通認識がないから、やたらビジネス書を読んでサラリーマンとしてのクオリティを高めたり、相手に気に入られる書類の差し出し方とかを工夫しまくったりする。わたしにはそれは理解できないし、自分が何をやっているのかわからない。わたしのキャリア感は、何かをできるようになりたいから、自分を高めるというもので、その何かは社会に良い影響を与えるものでなくてはいけなくて(もっと美味しく健康で安価な食品を食卓に届けるなど)、決して材料費を削って自分の会社を肥やすだけということのためには働けない。

 

 

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刺激のあるところに集中し、この刺激はどういうことなのかよく考えたい。