いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

一年ぶりに1200円カットに行ったら、まだ1200円でカットしてくれた。

東京に来て、久しぶりに1200円カットに行ったら、前のように上手で、しかもまだ1200円でカットしてくれた。昨今の物価の上昇に対してまだ一年間と同じ単価でサービスを受けられるなんて驚いてしまう。髪を短くしたねと言われて、あ、そっか以前に髪を切りに来ていた時は髪が長かったんだわと思い出した。ヘアドネーションをしようとしていたけれど、転勤の慌ただしさなどで無理になって短く切ってしまったのだった。正直短い方が好き。そのほか変わったことといえば、店内のカレンダーが新しくなっていたことと、よく通っているという落語家の人が真打に昇進する際の武道館のイベントのポスターが貼られていたことくらい。すごくよいポスターだと思った。コロナ禍も乗り越えて、落語家として真打という物に昇進して新しい名前ももらっていた。

 

学生の時に、高校の時の先生の友達に誘われて数回落語を聞きに行ったものだと思い出した。上述の落語家さんとは違う人だ。あの頃はお金を稼ぐことに一生懸命になっていて、毎回違う場所へ行ってアルバイトをいくつも掛け持ちした。落語を見にいくのも一苦労だったという記憶がある。大学に行けるからお金持ちなんでしょうという感覚は全く当てはまらないような生活だった。それは金銭的な事情で大学に行けない人よりはお金持ちだったかもしれないが、大学に行くことだってそれなりの苦しみを伴うのだ。当時はなぜか誘われたら行ってみなければならないという気持ちになっていて、電車賃だけでもきついのに誘われたら出かけたものだ。今思えばやめといてもよかったのだけど、そのおかげでやったことのある内容が増えた。でも結局そういったお誘いをしてくれる人は私よりお金を持っていて、大体途中で趣味に付き合いきれなくなりかえって疎遠になってしまったものだった。またその誘いに乗った後の経済的な厳しさが私の中にしこりを残したのであった。大学の教科書が毎回高くて買うのが辛いみたいな毎日だったのだ。世の中の学生が満足な勉学生活を送れる世の中になることを願います。また労働者が再び学びながら自分の仕事を良い滋味深いものにして行けるように願います。

 

落語といえば思い出すことはそんなことである。

 

今の仕事は割と優良なレベルの仕事で、そんなに業務量も多くないし、お金もちゃんともらえる。今のところ理不尽な仕事は断ってかわせるし、勉強にもなる。同僚がやっている仕事についてもたまには本をチラ見して勉強したりもできる。旦那とは、もう安い壊れるものを買うのはやめて、この限られたボーナスステージのうちに服など買うならば一生使えるようなものを買うようにしようと方針を固めている。

 

もう少し勉強したいけれど。東京に帰ってきて思うのは体力を奪われることが特に多いということ。休みの日にちょと出かけようと思った時に東海地方であればシンプルに目的地の山なり海なりにアクセスすることができる。東京では乗り換えをしたり、広告に追い回されたり、お金を下ろすにも窮屈に利便性を無視した場所に設置されたATMを探したり、トイレのために並んだりする。英気を養ったのか失ったのかはっきりしない。