いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

切迫感を相応に持っていたいと思った

 色々あって、というか何もなくて、ものをどんどん捨てたり売ったりしてすぐに引っ越しできるようにすることにした。邪念も多すぎるので、ちゃんと自分の将来について考えられない。邪念を愛してきたようなところもあるのだけれど、これからどうやって稼ぎを得ていくか考えるためには今はあんまりエモいことも言っていられぬ。

 

 この間他の人のブログを読んでいたら、その人は研究職の人だったと思うのだが、「自分は貧しい家庭で育って、いざ学士を終えた時に、よしこれから稼ぐぞと思うはずなのになぜか、よし金より知を追求するぞ的な気持ちになった。金に興味がなかったわけではなくて、自分が金を稼いでいるビジョンを持てなかったのだ。」みたいなことが書いてあった。私もこれだぜと思った。私の母は、専業主婦をしていたのだが、離婚して仕事を再び始めた時、多分給料は手取り20万なくて、なのに月額15万円の家を借りた。金銭感覚がおかしいのだ。また高校生にはアルバイトをさせないと言い張り、そのせいで大学に入るまでひもじかった。弟はめちゃ食べるし。論語を読み込み耐える技術を養った。こんな金銭感覚にはなるまいと思い、貯金をして大学の受験料等を自分で支払った。当時の自分にとってはかなりの大金である。大学に入学して貧困家庭奨学金を50万円受け取った時は、「元を取った」とかバカなことを思ったものである。学費とか考えれば全く元なんか取れてないのです。自分は特別苦労したとは思っていないが、あからさまに金銭面等に不都合している人もいるという事実を把握していない人の話を聞くとムカつく程度には、まあ本当は苦労したと思っているのかもしれない。

 

 こんな経緯があるのに、いざ学士を終えた時に考えたことは、「金よりもやりがいだ!」「食品に関することにしか興味ない」だった。それより何より、要するに自分は稼いでるビジョンが持てなかっただけなのかなと思った。「自分は〜とは考えない」という中には、「自分には〜ということを考える回線や道筋がないので、考えられません」というのも含まれている場合があるんだ多分。「自分は〜についてわからないし知らない」というのと同義なのかもしれない。その場合どうすればいいかといえば、「〜について知ろうとする」ことが必要なんだと思う。

 

 お金を稼いでいる人の文章とかを読んでいても、ちゃんと自分では読んでるつもりなのに、読んでいない。「どうせ嘘を書いているんだろう」とか、「偶然成功しただけなのに」とかひねた気持ちを持っている。これは子供の時からそうだ。自分でも思うのだが、こんなことを言っている場合なのだろうか。切迫感を持った。このままよくある手取り14万で何年やっていく。貧困の再生産ではないか。私は今のようにのんびり仕事させてもらわなくてもいい。ちゃんと稼げる仕事で、一生懸命働きたい。6月くらいから税金の控除が増えるので、残業なしでは手取り14万行かない可能性が出てくる。というか行かない。

 

www.takumoney.com

 

給料が上がっても生活のレベルは変えずに、とかばかり思っていて、しかも自分の月給が100万円になることなど想像もしないゆえ、こういうの考えたことなかったので、自分も考えてみた。

まず駅から徒歩5分以内の場所に家を買う(ボロくてもリノベするからいいし、お金があっても自分で手を加えるのは好きなのでやると思う)。子供をつくる。子供は一人でいい。産休育休を取る。旦那と子供と旅行する。子供と二人でも旅行する。いろんなものを食べさせてあげる。好きな時に好きな喫茶店へ行って好きなものを飲んで食べる。英会話教室と中国語教室に通う。子供の体に悪いところがあればすぐに病院へ連れていく。ほしい家具があれば、家族と相談して、そうだ、私には家族ができる!とにかく家族と相談して、一番良さそうなものを買う。図書館で本を借り、ゆっくり何も気にせず子供と物事を話し合う。旦那と何も気にせずに食事をする。お世話になった人にご馳走する。はてなブログをプロにする。もっと高い給料を目指す。

 

こんな感じだろうか。自分でなんの迷いもなく家族を増やす設定にしてて少し驚いた。

 

ペドロ・パラモ (岩波文庫)

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