いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

新・東海道五十三次

読んだ。夫婦で楽しそうに旅していてよい。昔めっちゃ金なくてどうやって子供も育ったんだかわかりゃしないみたいなこと書いていて面白かった。まあ無理である。

満足についての所感

たまに買い物していると、まさか私は自分のことを満足していやしないだろうな?認めていやしまいな?と疑うことがある。そういう時は大体金が少し使えるとかで自分のことをよくやったなあなどと思っているので恥ずかしくなる。自分に対する満足は本当にどうしようもない。絶対あるべきでないことで、もっと完膚なきまでに金持ちになるまでは絶対に満足なんかできないのである。もしくはもっと完膚なきまでに全てを失いなおし、さらに失うようでなくては。

 

激しい調子で支離滅裂になることが大事なので、全くそういう文章を今でもちゃんと書きたいので、新しい家はブログを書けるレイアウトにしたい。調和してると思って世の中を見るととてもつまらない。調和していないと思ってみるほうが生きがいを感じる。

 

貯金所感

冷静に考えると、私はちょっと銀行にある金が減ったくらいで死にたくなるのに、旦那は口座にほぼ金が入ってない状態でずっと暮らしているような感じだと思うのだが、全然大丈夫そうで驚く。全くやはり違うのだ。