いのちばっかりさ

生きている記録。生業。通信制大学。天平の甍、生の短さについて、狼煙

自分は貧しくないが、貧しさと紙一重だ

自分はずっと貧しいというかお金がないというか、貧しいからこんな目に合わなければならないのだ、と思っていたのだが、最近私は貧しくはない。不意に人並みの生活ができるようになったのだ。もちろんどんな本でも買え、どんなことでもできるとか、そうする気になるとかいう水準ではない。好きなもの、体に必要なものを買って食べられるという水準だ。

 

しかしこれは架空の城のようなもので、実態が伴っていない。私の個性や、アイデンティティ、知識、技術を礎としない儚い収入の仕事だ。だから何をしても満足できない。いつでも貧困になりうる。

 

祈るように学ばなければこの状態から抜け出せない。私には宗教がないが、この世に対しての真剣さを祈りによって表すように、私は学びによって表そう。学びによって伝えよう。

 

私なら大丈夫だと思いたい。人よりは大丈夫でないとしても、かつての私よりは大丈夫になっておく。

 

給料がカットされる。もしくは首になる。だから何だ。私は大丈夫になっていく。季節や草を楽しむことも忘れたくない。

 

自分が売るものを喜んでくれる人に売って納得しながらそのお金を使って生きていきたい。

 

消費行動優先順位

1食住

2学び

3旅