いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

父の死と同僚の長生き

仕事をしていると同僚や上司が50代、60代で、だいたい生きていれば父も60くらいかと思うと、思いが深い。

 

もしあの時代にアメリカへ行くことが流行っていなくて、もしあの時どうしても高卒で就職することになれば、もし静かな性格であればもし母と結婚せず、もし睡眠薬を飲まず、もし精神を病まなければ、この人のように生きたのだろうか。

 

親というサンプルは子供に影響を与えると言うし、そのサンプルに影響されすぎないようにと読書もするが、人に話して父のことは「幸せな人生じゃないね」と言われた時、そんな言葉で終われるはずがないと自分の感性が全てまた染め戻されるように感じた。

 

人は幸せになるために生きるのではない。生きるために生きるのであり、勝つために、長く生きるために生きるのだと思う。

 

本棚が欲しいぞ。