いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

養育里親になると里子手当がもらえるのに実子にはもらえないのはなぜなのだ

養子縁組を前提としないで他の人の子供を預かって育てると月に9万円を里子手当として受け取ることができる。これだけの金額が子供を育てるのに必要ということなのだと思うのだが、それなら自分の子供を育てる人にも支給されるべきだ。またこのくらいの金額が受け取れるなら育てられるという人もいるだろう。

自分の子供を育てるのは自分の子孫を作るためで、命を育てるためではないのだという思想が色濃く出ていると思う。子孫を作るとか墓を守る人を作るとかいう思想と、子供を作ることは現代人のメンタリティからは外れている部分もあると思う。私の思想からは完全に外れている。私の考えでは私と旦那と長い時間を過ごしてくれた人が幸せに生きていってくれればと思うからこそ、もし子供ができたら精一杯のことをしたいと思っている。自分の子供ができればできたらいいなと思うのは、その人が自分や旦那に(特に旦那に)に外見が似ていたら面白いだろうと思うからだ。

 

正直なところ、月9万円もらえるなら、子供を育てられる。そうでなければ貧しい思いをさせる。「子供が旦那に外見が似ていたら楽しいだろう」という価値だけのために9万円を支給されないとなると、一人の人の幸せを願う気持ちは同じだから、里子でも良いのではないかと思う。長い間、うまくいってもうまくいかなくても、世代の違う誰かと対話することは幸せなことだと思う。

 

でも養育里親は家庭に子供を返すことが前提なので、いずれいきなり離れてしまうとなると、子供として育てた人と別れることになる、その精神的痛みの手当が9万円なのだろうか?しかし9万円は里子の生活を充実させるために使うものだと思うから、その精神的な苦しみの分は特にお金に換算されているわけではないのだろうか。

 

自分としてはこの先60年継続して死ぬまで働くべきという前提で考えると、これ以上働いたら体がもたないと思う(同年代の中でそこまで過酷に働いている方ではないが、継続性の観点から、身体が傷ついたり、メンタルの不調になるなどしないくらいに加減して働いている)。まだちょうどサラリーマン人生の1/13を終わっただけである。子供ができるからと言ってこれ以上に働けば自分の生活を将来的に維持できなくなる恐れがあり、自己犠牲によって子供を育てるべきではないと思うので、実子にも9万円を支給して欲しいと思う。

 

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