いのちばっかりさ

生きている記録。生業。通信制大学。天平の甍、生の短さについて、狼煙

やれとは言えない

書いていないことはできないと思うし、汚いUIではできないと思うし、間違えやすいところにボタンがあれば間違えると思う。そんなときに働く人にきれいな環境を用意できないのに無理やりやらせることはできない。ただ自分がこれ以上労働する精神力がなくて、環境を用意できないのはつらい。力及ばずである。

できるようにしないとできないという考え方は工場時代に培われた。なんか倉庫で働いてる人はみんな外国人だから、言葉で中身の名前を書いてもわからない。靴の箱には靴の絵を6面に渡って描く。カーテンの箱には6面に渡ってカーテンを描く。そうしないと言葉がわからない人が正確にピッキングできないというようなことを工場で言われて、そういう誰でも普通に荷物を扱えるデザインというか、できるを当たり前にする仕事は素晴らしいと思った。そうあるべきだと。

ヘルメットは落としたら買い換えるし、床の水気は拭き取る。安全上の理由があるからだ。

 

だからオフィスワークになって急に運用でカバーという考えに触れて、驚いたし、何も知らない現場の人にもこんなに複雑で直感的でない作業を求めるのかと、それならみんなコンビニとかファミレスに行って働いたほうが楽であると思ってしまう。と思った。こういうのは無理であれば無理であるほど働く人の自尊心を傷つけるし、あほである。作業や機能について知っているからと言ってえばってよい訳もない。機能というのは直感的で理由があるべきです。