いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

なぜ会社で作っているプライベートブランドについて他人に話してはいけないのだろう

 ある会社の工場は、ほぼプライベートブランドに食われている。プライベートブランドというのは、コンビニとかスーパーとかに比較的安価なラインナップで並んでいるオリジナル商品的なやつである。あれらはコンビニとかスーパーが自分で作っているわけではなく、その業界の割と人気のある会社の工場に作らせて、というか作ってもらう契約をして、出来上がったものには製造元のロゴを入れなかったり、製造元を消費者には見てもわからないように表記して、自分のオリジナル商品のような体で売っているものである。

 

 ある会社の工場は、もはやラインがほとんどプライベートブランドの製造に占拠され、ナショナルブランド(その製造元のロゴをつけて売り出せる製造元の製品)を生産する暇も人材的余裕もない。しかもそのプライベートブランドでさえ、包装ラインがあまりにも脆弱であるがために、その前段階で出来上がったものが包装できず、袋詰め前の段階でたまりまくっている。たまりまくっているというだけで、リスクがつきまとう。たまりまくっていると言うのは、人の邪魔にならない場所に保管されていると言うことだ。人に邪魔にならない場所というのは人目につかないということで、人目につかないということは異物が混入される可能性もあるということだ。しかも工場では不満を持たない方がおかしい環境で人が労働させられており、改善される様子もない。この溜まりまくった在庫を包装するために土曜日も工場を回す。休日出勤は賃金がいい。働いていればみんな金さえもらえればいいと思い始める。そう思わなきゃ精神のキャパを振り切ってしまう。こんなに古い機械で回していては、袋が引っかかって破けたり印字がずれたりして、大量の包材ロスが出る。それを誰に言えばいいのか?誰にもいうことなどできない。いつか言えると思って心にしまっておくのか。無理だ。物申そうなどと思わない方が自分のためだ。

 

  こんな薄利の製品を、大手のプライベートブランドとして作ったら、もう薄利も薄利。いつまでも設備を刷新できない。オワコンである。このラインを止めたら大手にプライベートブランドを安定供給できない。契約を切られるかもしれない。契約を切られたら会社はどうする。じゃあ新しいナショナルブランド(製造元のロゴを入れられるオリジナル商品)はいつ作るのか。でもナショナルブランドを作る場所もないし人もいない。でもナショナルブランドで食えるようにならなければ奴隷だ。なぜ四方八方から奴隷にされているのか。調達に際しては商社の奴隷にされ、流通に関しては大手コンビニやスーパーの奴隷にされる。でも社員としては給料も低いしこれ以上頑張ることはないという風潮がある。じゃあ神を信じればいいのか。神のための献身として仕事に打ち込めばいい。それじゃあ搾取だ結局創業者一族に搾取されるだけだ。ならこのまま身を滅ぼしていくのか。そんなことはありえない。無理なんじゃないのか。そんな風潮がある。

 

 何でもかんでも慣れがくる。誰にも防げないことだ。

 例えば職場の便所の配管が壊れていて水がいつも和式便所を汚しているとしよう。汚い。でもそれを誰に言えばいいのか。自分で直してやる義理もない。汚いし、こんな汚い便所のある場所で働かされるなんて馬鹿げてるし馬鹿にされてると思う。けどだからと言って何年もの間、何ヶ月もの間、汚い便所だと思い続けて生きていくだろうか。それはない。そんなのは偏執とも言えるような状態だ。口に出していたら仲間からも頭おかしいと思われるだろう。便所が汚いのはみんなわかっている。なんで毎日それをいうのか、とみんなに思われる。だから人は慣れていく。便所は汚いが、便所はそういうものなのだと思ってくる。だからいつまでも改善されない。便所が汚いことを改善箱に投書するだろうか。変な奴だと思われたくないし、休憩時間は汚い便所のことなんか忘れたいから投書なんか書かない。便所のことなんか、忘れてしまう。だけど汚い便所で済まされている人たちの自己肯定感は明らかに毎日繰り返し踏みにじられている。それが精神というもので、慣れても踏みにじられることには変わりない。

 

 第一、どこそこのプライベートブランドや、どこそこの製品に含まれている一部のものを作っていることを、なぜ話してはならないのだろうか。自分の家族に対して、私はどこそこのカルボナーラソースに入っているベーコンを作っているとか、私はどこそこのプライベートブランドの納豆を作っているとか、そういうことをなぜ話してはならないと禁じられるのだろうか。一体なんの権利で、なんの義務でそれを黙らされているのか。別になんの法規もないのかもしれない。だけど黙らされる。それがお前、下請けというものなのだ。

 

 下請けはこんなキャパオーバーの状態だから、大手からは結局いつ破綻してもおかしくないと思われているんじゃないのか。そうやって破綻した時に、事件が起きた時に、プライベートブランドや自慢の商品、長らく売れ筋の製品まで顔を潰されたくない、そういう忖度の上に成り立っているこの不文律の黙殺。そう感じる。大手の調達部は一体何をしているんだ。なんでちゃんと監査してキャパオーバーにならない発注をしないのか。下請けの営業は何をしてるんだ。なんでこんなキャパオーバーになる注文を得意満面で受けてくるのか。それでも仕方ない。それが大手というもんで、それが下請けというもんだから。無理だとわかっているけどやるしかない。一体どの消費者が、そんな風にして作られた製品を食べたいだろうか。どうかしている。

 

 どうかしている。私は絶対この会社を大手の奴隷にはさせておかない。自分たちのロゴも載せられない製品を作るために会社があるわけない。ましてや製造には危険が伴うのだ。機械に巻き込まれて人が死ぬかもしれない。どうせ人の命や体を危険に晒すのに、それで作るべき製品が大手のプライベートブランドなのか?

 

 もっと本気でナショナルブランドを開発しなければならないのだ。開発しては開発し、ダメならすぐに廃盤にしてラインを圧迫しないようにしなくてはいけない。中国人のようなスピードでやるしかない。それから大手の流通に頼る現状をやめなくてはいけない。このままでは大手を通して流通させたいがために、せっかくナショナルブランドがヒットしても、流通を阻止されるのが怖すぎて、頼まれたら断れずにプライベートブランドとしてそれを作ってあげなければいけなくなる。これでは生殺しだ。奴隷だ。私なら資本をブッ込んで地元密着型の地方コンビニを買収する。海外のネット通販にはあまねく出品する。そうすれば小さくはあれども消費者動向をデータ蓄積していけるし、自分の製品を自分で打って、客の反応を自分で見ることもできる。その金をどうやって稼ぎ出すのか、それが仕事というゲームを楽しむ若者の仕事だ。給与とかいう問題ではない。働く人の尊厳の問題だ。給与めちゃ問題だけど。

 

 

 というか取締役とか、よくこんな何にも見にこないで無限責任を負えるな。頭おめでたいのか?酒飲んで笑っている場合なのか。

 と、どこかの製造元で働いている若者が思ったとか思わないとか。 

 

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