いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

動かない

自分は極端なので動かないことが大切だと思った。動くと何も落ち着いて行えないので、3年たったとき自分はどういう姿で放り出されるか考えると、本当に放り出される気がするし、そのときに自分が何も手で稼ぐ力を持っていない場合、そんな選択はだめだということになる。

 

自分の仕事はオフィスワークだから、たとえ経験が詰めると言っても、その場での経験でしかなく、いかに資格を取って基礎的な、網羅的な知識がある人間になるかということが大切だと思う。私は同じことにずっと取り組めないので、オタクになるより網羅主義者になるのが向いている。

知識がなくて経験を持って自信にできるのはオタクだと思うし、私はそれができない。はまり込めないから浅いことしかやれない。

 

転職面接で関西地方に行ってもらえないかと言われて良いですよといったのだけれど、年収が百万上がったらいかなと考えたらそうではなくて、実は自分はそうではないと考えていて、動きたくないと思っているのではないかと思った。

 

すごい抵抗を感じて、旦那にも相談した。今は本当にお金がなくてジリ貧生活にになってしまったけれど、それでもだからといって金のために動いて良いのだろうか?そこに本当に理想の三年後はあるのだろうか。

 

三十代になると動けなくなると言われてヒヤヒヤする面もあるけれど、まあ面倒くさいなと思って、そういう考え方がうまくできない。そういう考え方って転職エージェントの病気じゃない?って思ってしまう。

 

みんな転職エージェントうまく使えてるのだろうか?転職エージェントが持ってきてくれた話に飛びついて、転職するのは良いけど、転職エージェントに対してごねても良いのだ。行こうかなというふうに思ったけどやはり悩んでやめたっていいし、転職そのものを今はしないということにしても良いし。これだけしか給料上がらないのかと思ってやめてもいいし、やりがいないから辞めてもいいし。

 

そんな年齢に応じてキビキビ動かなくても人生百年時代ならと思う。キビキビ人を動かしたほうがみんなお金が稼げるからそうするけれど、キビキビ知識をつけてもしくは旦那と幸せにして、社会的存在としては静止してたりダラダラしてるように見えるようなのでもよいではないか。

 

しっかりコソコソ資格を取って、少々赤字でも立派なひとに大成したい。50にして初めて立つ!それでいい。同窓生に馬鹿にされていい。自分に馬鹿にされてもいい。骨太の人間になる。