いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

仕事の内容は変わらないで給料だけ変わってほしいのは無理そう 逃げ足のこと

給料上がらないわけだけれど、物価が上がったからと言って同じ仕事してるのに給料をあげられるのかというとそれは無理という話もそれなりに理解できる。物価が下がったら下げていいのかといえばそういうわけでもない気がする。

実際には殆どのものを国内で自給できていないので、ドル円相場に基づいて給与が支給されたほうが良いのではないかと思うけれど、どうだろうか?つまり給料ドル建て支給ということ。そうなると日本円というのはなんのためにあるのですかね?国の中で使えるクーポンみたいなものかな、となってきて、それならもう通貨はドルでよいだろうというふうになってしまうのだろうか。通過というのはなんで世界でこんなふうに分かれているのだろうか。全部同じ通貨でやったら良いと思う。なにかそのへんの意味がわかる読み物等あればおすすめいただけますとありがたいです。

 

個人的に給与について、物価の変動に関していちいち動揺するのはアホくさいなと思い、そもそも自活というのはサラリーで生きていくことではない、と思うようになった。用意されたオフィスで働くのではなく、自分の体を動かせば賄える仕事で生活費を賄わなければと思うた。お金が足りないときには余分に働いて、どんな作業であっても、倫理的に間違っていないことであれば、それを自分の仕事にしていくような労働も必要だと思った。

 

お金は全く貯まらなくても、毎日生きるために使うお金をちゃんと稼いでいき、自分の生活のために使う。それ以上に稼げなくても不満を持ちすぎないのも良いのではないか。目的があって稼いだお金を、目的のために実際使えたということは喜ばしいことで、目的のない貯金をしなくてよかったというのもまたそれはそれで良いのではないか。目的以上にお金を貯めることが良いこととは限らない。

 

私の会社は飲食業だけれど、今色々な店舗で濃厚接触者とか、感染者が出ていて、そのせいで店舗運営が非常にキツくなっている。というのは感染していない人が死ぬほど長時間働いていて、もう感染した方が楽なんじゃないかというくらいに酷使されている。これではもう無理じゃないかなあ。こうした人たちが、倒れそうになって働いているおかげで、なんとか店舗運営を続けて行って、今休んでいる人たちが戻って来ればまた人数が戻るからといって、新規採用することもできず、そういうのが政府が言う経済を回すということなんだろうか?経済を回そうとした結果、回りながら自壊していく機械のように見える。これほどまでに人を酷使して、一体どうなるのだろう。これなら休職した方がいいと思う人が大半で、実際にむしろ休職して会社がダメになってしまって欲しいという気持ちがある。

 

人がいなくてインボイス制度対応もちゃんとできていないで、どうなっていくのだろう。本当に回転しながら自壊していくように見える。こういう状態では上司の給料も上がらなくなっているのだろうし、今までジョブホッパーを雇用して、能力のある人を能力の発揮できる間だけ活用する方針を取ってきた会社だから、能力を発揮できないほど乱れた環境では誰もが逃げていく。これがプロパーをちゃんと技術と知性に裏打ちされた人材に育てられなかった会社が危機のときに直面する危うさだよなと思いました。結局ジョブホッパージョブホッパーの働きしかしないと思って、ジョブホッパーしか有資格者がいなかったり、知識のある人がいなかったりするようでは、ダメだと思う。

 

自分もあまりにも何の対応もされていない現職が怖くて、転職活動をしたりしているけれど、果たしてそれで良いのだろうか?社会的に決して無駄な仕事ではない現職を、あまりに現場に対して搾取的であるからとか、現場で過重労働があって心が苦しいとかいうことで、投げ捨てて逃げ出してそれでいいんだろうかと思う。

 

経済か感染拡大阻止かという二項対立として、議論され、経済を何とか回す方に舵を切ったこの国が、結果として感染拡大で自壊していくとき、自分は仕事を通して何をするのだろうか。そして家族を守るため、自分の健康を守るために何を選ぶべきなのか、全て失政のなすところとは言え、自分にも責任はあると思っている。

 

ある視点から見れば、私は前職も工場で働く人に対して以上に搾取的で、人権が侵害されており、そんな会社で働きたくないと思ってやめた(逃げた)部分があると思う。それならばしかし、いつになればそういった問題に自分で対処できるようになるのか?逃げていくだけではいつまでも、何かのバランスが崩れた際にこの問題に面する。転職して、そのような問題のない会社に行って働くことになったとして、それが解決なのか?いつまでも胸の片隅に病巣を抱えたまま生きていくことになる。自分がこのような問題に仕事を通して何をしていくのかという問題は、自分の生き方に関わることだ。それは団結するとか主張するとかの考えではなく、何を仕事に込めるかということだ。

 

転職するには、自分の収入を増やしたいという考えもある。しかし収入を増やして何をするのかといえば、もう少し良い食事をするとか、実家に仕送りとか、キリがない。働く目的を増やしていくことは、反面問題から逃げるための言い訳にもなる。他人より前に自分の生活を優先と言うのは簡単だが、その自分の生活というのは歳を重ねるにつれ、同年代と比べてとか、自分の親の分もとか、子供の分もとか、キリがなく拡大していく。別に自分以外の生活について考慮する必要はないのだ。それらの人の生活は国の制度で賄われる。国の制度を利用しないで、自分たちでそれを何とかしなければいけないと思わせることは全て国の策略だと思う。いろんな人のことを自分で養わなければならないと考える。それだから本気で戦って勝つということができない。自分の生活など、東京都の最低賃金で体を壊さない程度に働いた結果稼げる分で賄える二人分の生活で十分ではないか?けど戦うとして、何を戦うのだろう。誰も私に戦えとは頼んでいない。だけど、逃げるのは違うじゃないかと思う。戦う体力がないわけではない。戦う体力がないといって去っていった上司より体力がないとは思わない。

 

ただ考え方を変えれば、こうした環境からは全員が逃げればそれが一番いいと思う。みんながいなくなれば、このような会社は自然に滅びて継続できなくなる。それが一番いいのだ。問題は搾取されている人の半分くらいにはこうした自然の逃げ足が備わっていないということなのだと思う。そして自分がここで「根性」みたいなものを見せることによってかえって後世のためによくない影響を及ぼす可能性もあるのだと思う。

 

私は人生によって報われたのだから、人のために生きることはよいのだが、それならくだらない事業の汚れに染められていくわけにはいかないと思う。全く新規の事業でなければと思うけれど、大抵の人は既存の事業に勤めているのだから、既存の事業でちゃんとしたことをできるようにしなければ、誰かのためになる影響力はとても少ないと思う。

 

前職の場合は社長が人権的によくない部分をしっかりわかっていて、それを放置しているのだと思われる部分が多かったけれど、今回の会社では社長は会社のことなんて何もわかっていないだろうし、各部長がちゃんとやっているだろうと信用している結果、各部長はジョブホッパーに過ぎないので、全てが自然に壊れており、社長は別にそんなことするつもりはなくてこういうふうに自壊してきているということがよくわかる。いろんな会社があるものだ。