いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

苦手

苦手なことやるのか、得意なことだけやるのか、自分にはホントよくわからない。優等生の顔で苦手なことやっているうちに本当にやりたいことをできなくなってしまうのではと恐れている。 

 

でもできないことがあるからと言って「あの人はこれができない」と言われるのは癪だ。でも癪だと思うのは、それを固定的なことと見て、変化できないように言われることなのか、それともその人はそれができないけど、こんな素晴らしいことができるというように活用していく方向に行かない周囲の環境なのか、わからない。

 

そして私の一番やりたいことは世の中の人がみんな満足できる食事をできる世界にすることだが、それは商売じゃない。そういう単なる活動だ。だけど、商売にならないことしかできない人間にはなりたくない。誰かの庇護に依存して食事を作り配るだけの人生など。誰かにかんたんに手折られてしまう。

 

自分としては見やすいドキュメントを作る方法がよくわからなくて、それをわかりたいと最近場思っている。

 

職場の人の言語の使い方にはいまいち同意できなくて、自分の言語の使い方を守りたくて本を読む。私はいつも環境の人が話している言葉を同じように話すことができなくてちょっと浮いている。