いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

私のこだわり編成史

子供時代

父親が母親を殴っている
→暴力はよくない。警察は頼りにならない。公権力への不信。
親は浮気をする
→浮気は良くない。被害が大きい。人間関係の普遍性の崩壊。
親が怒鳴り合っている 
→怒鳴り合うのは良くない。理屈は関係がない。弱いものへの親近感。
親が仕事を転職する →一つのところで働かなくても良い。職場をうつると年収が上がる。
親は海外経験豊富→海外経験のない人は世界が狭いと思う。海外経験のない自分を卑下する。
親が分譲を買う→持ち家の安心感。
万引をする→無銭経済へのあこがれとお金を払うことへの疑問
親は外国語を話す→話せない自分への失望。外国語ははなせたほうがよいという考え
友達はゲームをするが私は買ってもらえない→できないことには無関心になる。
作文をほめられる→書くことへの愛
親に好きなことを話せない→書くことに開放感を覚える。
読書すると文がよくなる→読書好き
自分のホームページをつくる→日記を読んでもらうことに対する面白さにやみつきになる。
ひもじい→食べることへのあこがれ、悔しさ。

家族関係に対する嫌悪→法に対する関心。

 

 

成人後

本が読めなくなる→勉強をする生活の崩壊。読むという行為がわからなくなる。行動の真髄に対する関心。
発達障害への関心。悩みを書き続けることでブログに対する思い入れ発生。精神病に対する理解。
バイトで労使トラブル→雇用者に対する反発。公権力ほか大きな力に対する不信。LCCで旅行が可能に→中国の居心地の良さにはまる。

旦那と付き合う→勉強以外の人生の楽しさ。人といることの楽しさがわかる。自分はお金を稼ぎ続けたいというこだわり。二人分の生活をちゃんと続けていきたいという思い。金銭への関心。
親が死ぬ→寿命への不信。年齢偏重主義への疑い。社会的活躍に対する懐疑。初戦人間は単に生物である。
中国の食文化と安価でも良いものが食べられる環境に惚れる→食事への探究心ふかまる
就職する→人のためにならない仕事をしたくないというこだわり。時間に関してよく考えるようになる。大企業へのあこがれ。

田舎生活→田舎生活はHSP体質に優しいという気付き。

転職する→必死で働くことに対する疑い。大企業に対するあこがれがなくなる。中小企業の機動力に対する感心。生活の安定を失うことの恐怖。食品に対する愛の再確認。

工場勤務からオフィス勤務への変化→社会の仕組み(大企業は儲かる末端製造業は儲からない。仕事も危険。身体欠損が生じる。)に対する反感。自営業に関する関心。

 

あとがき

思うに私が生きてきた子供時代は精神病というものが取り上げられ騒がれた時代だったのではないか。そして高度成長期のサラリーマンに育てられた両親の世代の多くが留学を経験した時代だったのではないか。その後バブル崩壊があり、思うように給料が上がらない両親世代は転職を繰り返した。彼らの世代のフラストレーションは想像するに難くない。私の世代は生まれたときから不景気就職難一直線の生活であり、学歴はなければ金を稼げるようにはまずならないだろうと思う一方、大きく報われることはないので、金銭以外の喜びを追求する必要もあった。そのための手段もまた勉強であった。そのため給料が低くてもやりがいのある仕事を選ぶ傾向にあったのではないか。

大学卒業とともに景気が回復し、生物的な繁殖適齢期を視野に入れて、家族を持つことを考えるようになると、やはり給料が安すぎるため転職をした。とはいえ金銭に対する関心はそれ以上には膨らまず、もっぱら読書と仕事の両立に悩んでいると言う状況である。またこのようなメンタリティの人が多い世代であるから、貧しさへの恐れはあるが金銭への関心は希薄という特徴をうまく掴んだミニマリスト文化が流行しているのではないか。つまりあれは、貧しさへの恐れを支出の少なさと貧しそうな見た目の回避という方法でカバーし、金銭を稼ぐことに対する関心がどうしても希薄になってしまいがむしゃらに働けないという悩みを、支出を減らすことでそもそもそんなに働かなくても豊かな生活ができるという万全の受け皿として機能している。環境を変えるのではなく自分自身を変えたり生活を改善することが好きという勉強熱心な平成人の特徴がよく現れていると考える。