いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

豪雨

 私ももはやこれまでかとトマトは思うのだが、葉が落とされただけでまだいきている模様。近頃毎日思い出すことは実をつけることばかりで、他のことは考えていないような感じだ。まっすぐ上へ伸びたいと言う強い気持ちを持っていた頃が懐かしい。たまに実を取りに来る人間とか言うやつはずいぶんのんびり生きていて、よくもあんな鈍い細胞分裂で生きていけると思ってバカにしていたが今となっては羨ましい。いつまでも若いみたいな顔で生きており、早く死ぬものから奪って生きている。何者も死んだらそれで終わりである。長生きするものは強い。ただ、長生きして奪うのと、死ぬまで短くて奪われ続けるのと、結局ただ生きることには変わらないではないか。