いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

大いなる夢

大学のときに読んだロシア家族法の論文を探したら、多分これというやつを見つけた。

https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000077811.pdf

アジアの家族法(55)ロシア家族法(1) | CiNii Research

後者の方を読んでレポートを書いたのを覚えているが、読字障害と疲労の制度かなり普通の文章なのに読むのに苦労して、読み終わる前にビシャビシャのぐちゃぐちゃになったのをよく覚えている。

それでも読み進めるほどに自分は家族法に興味を持っていた。

「ぼくにはこれしかなかった。」を読んでいて、死ななかった世界線の田舎に移住した自分の父のような人だと思った。

本の中とはいえこんなに知らない人に「きみ」呼ばわりされるのはなれていなくて、父の高圧的な様子を思い出した。父から携帯に留守電が入ると怖くて聞けなかった。今でもそのせいか知らないが留守電は怖い。

「ぼくたちが従事している仕事の。その先にはなにがあるのだろうか。」

 

うるせえやと思います。父のようなことを言うんだから。

 

養育里親のことを考えたり調べたりする中で急に昔のことを思い出してしまった。そして気づいてみれば今も同じ命題のために長生きをしている。今も変わらない。

回り道みたいなことは、自分の感情の種類がよくわかるように繰り返すために設けられている装置なのかな。

 

毎日なにかの資料を作っている。もう作りたくない。