いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

北京ダックのこと


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北京ダックは多分初めて食べたのは横浜中華街で、父に食べ方を教えてもらって食べた。父は丸くタレを塗ってから他のものを乗せて皮で包んでたと思う。高級なものだと思った。

そのあとも横浜中華街で父と弟と食べたと思う。その店は皮だけでなくて肉も炒め物にして食べるお店で、私達はそれを食べきれなかった。そしたら父が偉い人は下の人のためにあえて食べ残すものなんだ、とかいらないことを言うので私はすごく嫌だなと思った記憶がある。

 

北京に行ったとき、北京ダックを安く買って食べることができた。北京で食べる北京ダックは全然違うんだ。でもその話をする相手として父はもう死んでいたからいなかったのだ。それどころか私は他でもない葬式を払った残りのお金で北京へ行ったのだから。だから私は多分北京ダックの話を誰にもしなかったまま、北京を歩き回りいろんな北京ダックを見て、食べたり食べなかったりした。

 

今日はバーミヤンへ行って、前に旦那が初めて北京ダックを食べたときもバーミヤンだった気がすると言って、旦那が北京ダックを注文した。

 

北京ダックの皮に丸くタレを塗るのを見たときに、急に思い出したのだ。多分あれが初めて北京ダックを食べた日の記憶だということを。あの場所は丸型のテーブルに白いクロスがかかっていた。

 

記憶は思い出さなければちゃんと保存されているのに、思い出したら一緒くたに融合されてしまう。だから全てがまじり合わないように書いておく。

 


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