いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

もやもやについて考えたい

 もやもやしていることがあって、それについて考えなければと思っている。思っているけれど考える時間が取れずにいた。なのでまずなぜ考える時間が取れないのかについてちゃんと考えるべきだとも思う。最近なんかすごくストレスが溜まっているようで、喉の奥を鳴らすチック症状みたいなものが出ている。多分これを続けると喉がつぶれてきて体調が悪くなってしまうと思うのでやめたい。そこでお休みを取ってとことん考えることにした。これを書いている途中で、自分は考えるといいながら、考える方法の基本がわかっていないから、効率よく考えられていないのではないかとも思い始めた。時間の不足だけが問題ではないのかもと思う。

 

・考えるとは何だと自分は考えているのか

 持っている道具を使ったり、調べ物をして、人と違っても違わなくてもいいから自分が納得し、自分の支えにできる内容を決めることだと思う。考える方法について学ぶことも必要だと思う。私は認知バイアスが強いと思っていて、そういうものをなくすことがいいのかはわからないけれど(認知バイアスこそがその人の人生や性格になっている場合もあると思うので)、自分のバイアスについて、これがバイアスだなとわかることは必要かと思う。考える方法について学ぶには、なんか本を読むかなと思って調べる。それというのも私には、「生きている人間から学べることはあんまりない。たまに学べることもあるけどそれを追求するのはコスパが悪い。」と思いこんでいるため。考えることには多分いろいろな方法があって、自分の持っている知識や方法で問題について考えることになる。生涯学習が必要という意見があるのは、世の中の問題が多様化し変質していくのに合わせて、知識や考える方法を増やしていかなければいけないからだと思う。最近は資格の勉強に追われていて、考える方法についてあんまりいろいろ読めていない。統計とか数学とかは直近で勉強するべきだと思う。子供の時から数字が苦手で避けてきたので、私の持ち道具はその部分が欠けていると思う。かけていることを別にそれでいいんだと思ったらその時点で偏屈になっていくと思う。考え方について書いてあるらしい、下のような本も読んでみるべきだと思う。

 

 

readingmonkey.blog.fc2.com

 

・今解決したい問題

 ①経理の仕事をしているが、向いていないのでこれ一本で食べていくことに不安がある。何故向いていないかというと、注意が欠陥しているので、ミスしないか極度に緊張してしまう。また、発生主義とか現金主義とかの混在しているような状況に、極度に恐怖を感じる。また預金口座が解約されてるのかされてないのか銀行に電話しないとわからないとか、管理できないほどの通帳があるような状態に極度に緊張する。ヒヤリハットが共有できない雰囲気にもすごく緊張する。お金を関する仕事はものすごく緊張してしまう。じわじわと恐怖を感じやすい性格だと思う。かといって自分に何が向いているのかわからない。そのためいろいろな仕事の人に触れあえる仕事をして自分に向いていそうな仕事やお金が稼げそうな仕事を探すのが良いのではないかと思う。そのためには長期的にいろんな仕事の人と関わる仕事をするのがよさそうで、そういう意味では税理士や行政書士にまずなるというのもいいかもしれない。でも自分はなぜか建築学校に行きたくて、それは家が大好きだから。だから宅建とかも受験している。経理をしながら建築学校に通おうとすると学校の授業は18時半から。17:30には会社を出なければならない。自分の中では好きなことをやるに決まっていると思っていて、それはもうお金がないから好きなことができないということはないからだし、まだ20代なので、国からの給付金などもゲットしやすいからだ。(好きなことをやるに決まっていると思っていることはこの記事を書いて初めて分かった。)

 

→どうするのか。

 まず簿記2級は絶対にとるべきだと思う。それは今回必ず合格するように全力を尽くす。それで今の仕事をとりあえず続けていく。会社は機能していないけど一応フレックスなのでそれを無理やり利用して、8:00出社・17:00退社にする。18:30~21:30まで建築学校に行く。22:30に帰宅したら寝る。二級建築士試験に合格する。

 こういうことを続けていると絶対に昇進はできないと思う。それにそのうち完全に干されるので、そしたら学校に建築設計事務所の仕事を紹介してもらい、就職する。

 東京で数年働き、そのあとで地方に引っ越し、働く。

 

 

 

 ②年を取っていく。28歳だ。自分は年を取ることをまったく気にしないのだが(みんな死ぬ年齢がそれぞれ違うので一律にもう30歳とか、言っても残された人生の長さはわからないからあまり意味がないのではないか)、現実的な問題として女性のキャリアと出産の問題を考えていて、東京でのキャリアは確かに重要だけれど、出産によって今の仕事は継続できないか、かなり無理をしないとできないのではないかと思っている。最近は働いている女性の中にも子供を産まない人がかなり多くなっている感じで、職場も正社員の女性で子供のいる人はいないので、かなりそういう家族のことには無理解で、排除の意志さえ感じる。経理というのは周囲とのコミュニケーションが必要だと思っていて、そうしないと今日までに仕訳を入れ切らないといけないなどの場合にスケジュール共有さえもされずに仕訳が入れられないで会社全体に迷惑をかけたりすることがある。そうなって辞めていった人が観測できる範囲でこの2年間において7人いた。内訳は下記のようだ。

 

・未知のウイルスが流行しだしたのに対策を取らない職場に対して、対策を求めて契約更新をされなかった人(「会社都合で一方的に契約を更新されずに退職します」とチャットに残して退社した。)干されていたけど仕事ができすぎるくらいできた。

・持病があり、それを伝えて入社したのに、深夜まで電話がかかってきたり、コロナ対策ができていないので仕方なく退社した人。干されていた。

・高齢の親と同居しており、リモートワークをしていたが、情報共有がしてもらえなかったり、ひどい扱いを受けて契約更新にならなかった(しなかったのかされなかったのかは不明)人。干されていた。

・リモートワークさせてもらえず、親の介護と両立できないのでやめた人。理不尽に干されていた。

長時間労働をしていたけど資格もあるしもっと体に無理のない仕事もできるということで転職した人

・赤子がいるので土日も働くようでは無理ということで退社したひと(干されていた)

・仕事が降られまくってきて毎日深夜まで働いていてやめたひと(少し干されていた)

 

2年間で7人。これは20人いない部署においてはかなりひどい率だと思う。また高齢の親と同居していて、コロナウイルスが蔓延しだしたときに出社したくないと説明して、承諾を得てリモートワークをした人に対して、陰で批判をし、家でできる仕事にもかかわらず、わざとファイリングなどのために出社させてファイリングさせたりしていた。ファイリングなんて誰でもできるので本当にあほだと思う。私も旦那が感染したらサイトカインストームで重症化するリスクがあったのですごく気持ちがわかった。今回のコロナウイルスのようなものが通勤の結果感染して死んだとしても、通勤の因果関係が立証できず、結局泣き寝入りになってしまうと思う。

「家でやりたいなら別の家でできる仕事をすればいいのよ」と言っている人がいて、「え、これがその仕事なんですが」という気持ちになって吐きそうになったのを覚えている。

こういう非合理的かつ感情的な環境下では、何かを考えていても「でも私はこう思っています」ということを話しても、「だからなんですか、昔からここにいる私はこう思っています」で終わってしまい、しかもコミュニケーションはますますおかしくなっていく。

 

→どうするのか。

 建築学校に行って、仕事は確実に干されるので、そのタイミングで子供を作って在学中に出産するのもいい。産休を取って仕事をやめ、次の仕事にシフトする。

 

 

③お金が全然たまらないぞ。これはシングルインカムだし仕方がない。健康のためにご飯もモリモリ食べているから仕方ない。それでも毎年50万円くらい増えているのはすごいと思う。別に死ぬまで働くんだろう的な気持ちでいる。だけど旦那の実家の人がコロナの影響で失業したので、仕送りをしようとするとお金が全然足りず、どうしたらよいのかとなっている。こういう時にこのままではだめだと思う。

 

→どうするのか

たぶん2年くらいは旦那の実家も貯金が続くので、その間に建築学校へ行って、卒業したら安いところに住んで、仕送りをしながら実務経験を積み、田舎に帰って実家の人々と一緒に住めば、お金のほうは大丈夫だろう。卒業するころには旦那も体が少し丈夫になって、古い安い家にも住めるようになってきているだろう。

 

そういえばブログのヘッダーに下記の文言を追加しました。同じことをしようとしているひとの参考になるかもしれないと思ったので。

東京にて主夫と暮らしている。

 

→何を最終的に目指すのか。

やはり色々な立場の人が幸せに働いて暮らし学べる環境つくりだと思う。生きて死ぬことを納得してできる場所作りだと思う。