いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

休憩とアレルギー



草がこんなに生えていたんだ

雨のあとでシダが光っている

こんなに日にあたって大丈夫

鳥が規則的に鳴く

この朝の仕事無しの感覚

働いても糧が増えないから

また違う場所でもいいだろう

ここのように苔むしていて

ここのように冷たくて

私は仕事をするだろう

今度こそ宮沢賢治みたいに

散歩の夢を見て

寝られず

息を止めた

ただただ散歩したい

渇望するけれども

朝は仕事夜は仕事

夏も冬も仕事をして

この世界には倒れる場所もない

この木はいったいどんな木だ

すべての葉が持ち上がって枝より上の水平についている

私は仕事をサボり

小さな世界で外を求めた気持ちを想い出す

自由なくして幸福はありえない

会社は十年経てば消えるまぼろし

淡い泡沫だ

なんの不満もなく

生きるだけ生きているこの生活が恐ろしい

二十八になり

死ぬ瞬間がありありと想像できる

この斜線をたどって体力は低下し

皮膚はピッタリと骨につく

このきれいな黄色の紅葉を

あと八十回も見ないだろう

命の求めない仕事をするな

それがたとえ家族を養おうとも

何が不満でない

生きるなりに生きたい

どうして自分はこうわがままなのだ

持ったものはすべて叩きつけ

家は捨ててしまうし

皮膚は焼いてしまうし

傘はおいてきてしまう

私は自分のことはすべて認められないのだ

額は階段にうちつけてしまうし

足は削れるほど歩いてしまう

対岸に立っている人に対し

投げ捨ててしまうような激しい愛を唱えるけれども

自分の土地も対岸の土地も

私は死ぬほど憎んでいるのだ

生きている人も死んでいる人もみんな海に向かって歩いていってしまう

前髪を切って世界を見たとき

私はひとりだった

思うのだ幸福なのがおかしいのだと

仮初の幸福がわたしをアレルギーにするのだ

川を遡上し

一生を俯瞰しなければならない

私の中にはもっとちゃんとした

本物の悔しさが溶けているので

それが私を遡上させる

平野にとどまるなかれと

 


f:id:giveus:20211108112110j:image


f:id:giveus:20211108112116j:image