いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

ポジショントーク・ポジションライフ

お題「#この1年の変化

コロナウイルスの流行を通して、ポジショントークというものが溢れていることに自覚的になった。コロナを風邪という人はマスクをしないし、一部の旅行業界の人は旅行に行かせようとするし、オリンピックをやりたい一部の人はオリンピックをやろうとする。そしてそれらの主張について信頼できるデータの裏付けを説明されることもなく進んでいく。

 

会社でマスクをしない人が出てきた。私の会社は飲食なので、コロナウイルスによって甚大な被害を受けているし、自粛や緊急事態宣言が長引けばそれだけ経営がダメージを受けてリストラだって行われるだろう。

 

だからといって、マスクをしないなんてアホくさいし感染が広がることにしかならない。最近本当に疲れていて、彼らに注意する気も起きないのだが、社内でもかなりどうかしている部類の人たちなので声をかけるのも嫌というのもある。また近づいて話しかけたらなにか言い返してくるから飛沫を浴びることになるし。それにしても私や旦那に感染したらどうするのか。私のせいだ。小さな子供のいる社員もいるのに。

 

ポジショントークの激しいやつで体を張ったやつなのかなと思うが、話してるだけなら私に身体的害はないものの、実際にマスクをしないで講釈たれているのを見ると私に実害がありかねないので、本当にやめてほしいと思う。

 

東京にいて何をしたいのか本当にもっとちゃんと考えようと思う。やることもないのにこんな危険な場所に旦那を連れてきて、お金だけ少しマシに稼げるみたいなのはおかしい。そもそも最近お金もそんなに稼げないし。賃貸の更新までに考えないと。自分の体一つ引っ越したり逃げたりするのにこんなに時間がかかるのはおかしい。というのも今まで努力の方向性がおかしくて自分に身軽に場所を変えても将来的に強くなっていく見込みが持ちきれないからなので、これからは良い会社に勤めるとかお金を今よりもらうとかそういうのではない方向に強くなって人を幸せにしていきたい。人を幸せにできる能力があり、知識もつけていければ、どんなときでもどんな場所でもやっていける。

 

それ以前に生きていれば何でもできる、何かはできるということを思うので、人が自分のポジショントークのために、ポジションライフを送って人の命を危険に晒していられることに反感を禁じえない。他人をまざまざ殺すなどと。人を殺すのはウイルスだけど人間でもある。

 

東京にいることで自分は他人の命を危険にさらしている。他でもない大切な旦那を危険にさらしている。本当は山奥の誰にも会わないような場所にいるべきなのに。東京を離れても病床数が少ないから危険度はおなじみたいなことを言ってるのも、部分的には東京で働いている自分を感じたいみたいな自分のポジションライフのセリフなのじゃないか。本当は山奥の誰にも会わない場所にいるべきなのだ。空振りを恐れずに逃げるべきなのだ。


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