いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

明日から仕事だ、って思ったときの胃がきゅっとなる感じ

病気になりたくない。特にコロナウイルスとかの未知の病気になりたくない。こんなときには人の多いところへ行きたくはない。正直なところ仕事をやめても良いと思っているのだが、踏ん切りがつかない。危険を犯して通勤すべしそれが当然という圧力があまりにも当然の顔で迫ってくる。ここでまで空気を読まなくてよいのかと語りかけてくる。

 

継続性よ……

 

例えば3.11の地震のとき余震が続いていて地下鉄に乗るのは怖いし危険だったと思う。けどまともなサラリーマンは地下鉄に乗って通勤したのだろう。私は当時働いていなかったが、もし働いていたらそうすることは無理だったと思う。その当時も私はとても恐怖していて、母に地下鉄に乗らないで通勤してとせがんだらしい。仕方ないから母は片道一時間かけて自転車で通ったらしい。仕方ないからでやる母ではないから、母も怖かったんだろう。子供が怖がってと会社で説明できて嬉しかったと思う。

今回もこの害悪が自転車通勤でなんとかなるものなら、私も自転車通勤したと思う。

 

今の職場では、自転車通勤の許可を取ろうと上司に話しかけたらその時点で、ドン引きされそうだ。それくらい恐怖を感じていることを見せたらいけないみたいな雰囲気がある。正常化バイアスだ。

 

その状態こそが私を脅かすもので、本当に怖いのだ。この病気についてみんな全然知り得ないのに、どうして自分の部下や同僚に強さを要求するんだろう。ここで仕事をやめたらまともじゃないと思われるのだろうか。こういう会社だと結局子供ができるなどしたらやめるしかないと思う。

 

家にあるいらない服を今日は旦那と二人で捨てることができた。身軽になることに近づけて嬉しい。組み立て式の引き出し一段減らすことができて、部屋が広々とした。

 

多分私は普通じゃないので、サラリーマンとしてそのうちだめだろう。やりきれる気がしない。恐怖心を強く感じてしまい、それをごまかして働けないようだ。