いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

マスクをすることに意味があるかという人について/ 失業しても自殺とかすることはない

飛沫感染というものがあるのは感覚的にも理解できるし、マスクをするという行為で感染者が減るのなら、こちらはマスクを購入してつけるだけの行為なので、簡単だからやればいいと思った。マスクをつけることで飛沫の飛散を防ぐことができるので、ウイルスの拡散も防ぐことができて、意味があると思う。

 

確かにマスクをつけている人に対面すると表情が読めなくてつらいみたいな人もいると思うが、それで死ぬほどつらい人は非常に少数であると思う。人の死や医療崩壊というような大きな被害をマスクをつけるというだけのことで減らせるのであれば、それをやらない人はどうか考え直してほしいと思う。

 

コロナウイルスは風邪やインフルエンザと同じでないことは明らかで、なぜなら私たちはマスクを最近よく着用していて、そのためにインフルエンザの感染数は1000分の1(昨年比)になっているらしい。にもかかわらずコロナの感染者数は逆に増え続けている。これはマスク着用はコロナに対して意味がないのではないかということではなくて、マスク着用しないとマスクをしてもこの程度にしか抑えられないコロナウイルスの感染はさらに拡大するだろう。インフルエンザとは全然違うものだし、インフルエンザより強い。またコロナウイルスの症状を「風邪のような症状」と最近よく言っているのを聞くけれど、それはどちらかといえばインフルエンザの症状の説明だと思う。コロナウイルスは風邪のような症状も出るけれど、インフルエンザとは違い各種臓器にも炎症を起こすウイルスである。

weathernews.jp

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 ドイツでは1日の死者数が1000人を超えた日もあった。

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自分や家族は健康でも、一緒に電車に乗っている人は基礎疾患があったり、その家族は基礎疾患がある場合もあるということに考えを巡らせてほしい。例えば薬の副作用などで常に肺の一部が肺炎みたいな症状になることがあって、そのような人はもし風邪やインフルエンザにかかると急性憎悪といって一気に肺がやられてしまい、呼吸ができなくなって死に至ることがあるらしい。そのような人が、コロナウイルスに感染したらどうなるか、ということを考えてほしい。また尿酸値や血糖値の高い人はたくさんいると思うが、そのような人がコロナウイルスに感染すると重症化しやすいらしい。

 

私の旦那は尿酸値が高いので、感染すると隔離されて会えないうえに重症化しやすいのではないかと心配だ。今日は近くに飛んできたキジバトを二人で見て、いつも通り二羽で過ごしているのを見ていろいろ話をしていたが、このような話ができなくなるのではないかと心配だ。心配というか、本当にそうなったらどうしてくれるのかという気持ちだ。

痛風のある人はコロナウイルスにかかった場合に肺を含め、複数の臓器に通常より過剰な炎症を起こしやすい。

また尿酸値や血糖値が高い人がいるといっても、生活習慣だけの問題ではなく遺伝などの影響もあるので、そのような人が急に改善することは遺伝由来の場合は困難であろう。この点は全く自己責任でないうえに、糖尿病なんて50代にもなれば全体に対して10パーセント程度の人は糖尿病と指摘されたことがあるのではないか。

https://www.mhlw.go.jp/content/000711007.pdf

 

私の仕事は飲食に関係のある仕事だが、もし自粛期間が長引いて、会社がつぶれるのなら、それは仕方のないことだと思う。それによって仕事がなくなっても、商売というのは本来人のために行うサービスによってお金を稼ぐことだと思っているので、無理に商売してそもそもの人を殺しても仕方がない。避けられない社会現象によって飲食店がつぶれるのは不幸と思えるけれど、私はそれによって失業してもそのことを受け入れたい。失業してもこの国では自己破産や生活保護の制度が整っているわけだし、絶望することではない。

 

現在の普通のサラリーマンは、もらった分のお金から一定のお金を積み立てたり、家を買ってローンを払ったりしながら、それがお金さえ払っていれば守られ奪われないものと信じているから、失業するのを過度に恐れたりするのだと思う。けどねているだけでものを奪われたり、袋叩きにされたりする文化の場所もあるわけであって、そのような人は今月は運が悪くて奪われたと思って、またすぐに歩き出すだろう。ただ頭を切り替えればいいだけだ。

 

人命のためなら喜んで会社もつぶれてくれ、失業しようという気持ち。専門家の助言をきちんと受けて、やるだけやってもらいたい。つぶれるならばつぶれろ。解雇されるなら解雇されてやる。貧困になるなら貧困にしてくれて構わない。再起不能にならないために今まで税金を払って社会保障制度を支えてきたのだからという気持ち。国家の意義を見せてくれの気持ち。

 

国としての力がどれだけ経済の面で滅びても、ある種の人をどうせ弱い体の人間だからとか年取ってるとか疾患があるとかの理由で見捨てるような選択をしたら、私たちは明るく生きていけないだろうと思う。そんな国なら、今まで批判してきた国と変わらない。都合のいい時だけ人命の尊さについて説く国になってしまう。この国の憲法も、教育も、人権も、腑抜けになってしまう。

 

自己破産、失業、そんなことは死ぬようなことではないです。そして私は将来的にそんなことで人が死を考えることなんかなくなるように、みんなのために住む場所を作りたい。ちなみに今でさえそんなことは自殺を考えるような内容ではなく、なんとなく世間にそういうときは自殺を考えるような風潮が生まれているというだけで、それに沿って死ぬことはない。自分の命くらい、自分で守って元気を出そう。こうなりたいと考えることだけして、こうなりたくないとばかり考えるのはやめよう。どうなっても生きている限り、またやればいいので。27歳。