いのちばっかりさ

生きている記録。体を鍛えて学び働きたい。

最近読んだ本を貼る。

リモートワーク終わったら本を読むようにしていて人生の満足度がかなり高い。

今日は気づいたらこんな時間(夜10時)なので、読んだ本を貼ることで終わりたい。もっと早く起きて、朝にも本を読みたい。読むぞ。あと数日で会社へ出勤しなければいけないのだが、受け身のふりをしようとしている自分に良くないぞと思う。なぜといって自分で仕事を続けることを洗濯しているからだ。自分には命しかないのに、死ぬ確率が低いから、仕事を続けることを選択しているのだ。自分の選択に責任を持てるのかといつも考えている。本当は仕事を辞めて、山の中に行きたい。

旦那がPCを組み立てて友達が遊びに来たりして楽しく過ごしているのを見たら私は楽しい。私も本を読むなどして楽しい。私は本を積むことで平静を保っているんだけどそこのところは旦那はやめてほしいらしくて、見られたらだらしないと思われるとか言われている。私は本がないなんてだらしないと思われると思ってしまって片付けられない。というか多分本がなくなったら不安で仕方ないだろう。どうせそこには簿記の問題集とかばかりになってしまうのだから。そんな世界は無理だろうと思うし。もし読む本を身近に置かなくなったら私の人格だって損なわらてしまうだろう。というか多分長生きできない。入るのより忘れる知識が多すぎて、認知症みたいになってしまうだろうと思う。

 

本があれば明日仕事を辞めて帰ってきてもやることなんか山ほどあるのだと思って、心も慰められる。

正月飾りを買いたいのだが、なんとなく花屋に行っても売ってない。スーパーへ行ったら売ってるけど、そこでは買う気になれない。

 

なんか昔は心の中がすごく酸っぱくて狭いような気がしてたけど、いまは心の中に赤み肉がぎっしり詰まってかえって過ごしにくいみたいな気がする。通勤のせいだという気がしていて、出稼ぎになって心の中に琵琶湖へ吹き下ろす風を吸い込みたい。多分これが一気に抜けることがあると思っていて、明らかにその時私は仕事をやめるだろう。今はきっとその時ではないのだわ。

陶淵明全集〈上〉 (岩波文庫)

本を贈る

統計学 (サイエンス・パレット)

試行錯誤に漂う

B面がA面にかわるとき [増補版]

看板建築 昭和の商店と暮らし (味なたてもの探訪)

初学者の建築講座 建築設備(第四版)

経理の仕事の本全然読んでいなくて笑う。

職場で会計ソフトの私のIDを他の人が知らないうちに使って仕訳が勝手に入れられていた。これでは統制なんかないし、寒気がした。