いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

サンウェーブ製のナガシ

サンウェーブ製のナガシの上で書くのはまだ月曜日というのに少し旅に出た時のようだな。IHクッカーの上で鍋が野菜ポトフを煮込んでいる。隣には若い夫婦が住んでいて、自由な生活らしく好きな時間にシャワーを浴びる。私たちより金を持っている、姿の整った夫婦だ。趣味もよくしていて、植木を育てたり自転車に乗ったりする。自転車はたくさん持っていて、それを床下のガレージで眺めているのをよく見る。私たちの生活は普通だ。信じられないことに二人で暮らしていて一人しか働いていないのに貧しくはない。このことに夜帰ってくるときたまに感動する。何はともあれ隣の夫婦のうちどちらかがシャワーを浴びる音が、私たちのキッチンにいると聞こえる。何はともあれ自分は貧しくない。今のところは。今のところは安心している。

 

その一方でこの仕事になじめない自分がいる。仕事柄、ネガティブな事態にも発展しかねないようだ。この仕事に就くまでそのことを全く気にもしていなかったし、そんな可能性があるとも知らなかった。でもこの仕事が私たちの生活を保障していることは間違いない。少なくとも今のところは。そして今のところは好きな野菜を放り込んでスープを作れる。

 

最近体に脂肪がついてきた。夏になれば脂肪は減ると思う。昨年もそうだった。今年はよく体を動かすようにしようと思う。甘いものを食べすぎず、野菜を食べる動物のような顔で生きようと思う。水着を買おうと思う。私は合格しなければいけない試験が一年先まである。常に一年先まであり続けるだろう。いくつかはこのコロナウイルスの流行で延期になったり中止になったりした。

 

何か副業をしたい。つまり私は今の仕事をあまり信用していない。大企業というのはこういうものなのかもしれないが、あまりにも人生を浪費するだけで金が稼げてしまう。このコロナウイルスの影響で会社も損害を被った。それでも社長からつぶれるかもというような話を聞くことがない。やはり大企業というのはすごいかもしれない。けれどもこのままここにいれば全然ダメな人間になってしまうかもしれない。

 

立て直し屋さんというような人もいる。自分はもっと新しいものを作る人になりたいと思う。立て直したりするのは、壊すことだ。私は人にばかだなあと言われながら新しいものを作ろうとしたい。人のものを壊したくないし、人の恨みを買ったらどんなにひどい目に合うかわかっている。私は人の良心を信用していない。だから今の仕事がきつい。全員の良心のもとに成り立っているからだ。

 

好きな家に住んで、好きなものを食べている。好きな人と住んでいる。これ以上の幸せはない。それでもどこか落ち着かない。心配だ。というのは私の仕事はデータを使ってする仕事だから、誰かにデータをいじられたら、と考えると怖い。別にそうすることで相手が何を得するわけではない。別に得になることでなくても誰かがそれをやるかもしれないと思わせる病理が東京にはある。そんなことが気になって仕方ない。もっとお金を稼ぎたいと思うけれど、さらにうまくふるまえるような気持ちもない。3年たったら地方へいく。その時自分で仕事を作れるように、という一心で働いている。けど今の仕事は、どうなんだろうか。地盤としては信じられない。

 

昔アマゾンで古本を売っていた。また出品をすることにした。少しでも収入のある先は多いほうがいいと思う。本当に資格の勉強をもっと頑張りたい。どうにかしてこの先安心して稼いでいけるような場所へ行きたい。自分で地方に仕事を作れるようになりたいものだ。私は26歳だ。30歳になるまでには、なんとかして、自分で何とかしたいのだ。

 

もうここ5年くらいずっとこの気もそぞろの状態が続いている。浮き立っているようで、うまく腰を据えられない。

 

安住の地を作りたいものだ。私にとっても求めるほかの人にとっても。今の幸せを守るために誰かにこびへつらったり、時には正しくないことをしなければいけないとしたら、それだけでもう自分は満足できない。

 

そういえば政府が支給してくれるマスクが届いた。