いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

49 現代の内部監査(’17) 1639536①

放送大学の授業を受けて。

人間は自分が依頼されて何かの仕事を行うとき、自分のために労働の成果が実ることを望むものだし(機会主義的行動)、それを前提に考えるべきというのはすごくわかると思った。きっと内部監査について考えることができる人間であるためには、自分に対して後ろ暗いようなことはしないでいたい。後ろ暗いことがあったら、内部監査について考えるのがとても苦しくなるだろう。とはいえ仕方なく後ろ暗いことをしてしまった人間こそが内部監査について考えるとき本当に情熱をもって行うことができるのではないか。内部監査を仕事にしている人の中にはそんな人もいると思う。それを思うと何となく奥深いと思った。

 

会社がばらばらで、経営者の意志が通じなくなっている会社について語られている部分があって、本当に今働いている会社のようだと思った。会社で働かなければこんなに内部監査の授業が面白くなかったと思う。中小企業で働いていた時は、会社の誰かが社会的によくないことをすると、自分の仕事が損なわれたように思って嫌だったのに、大企業に勤めたら、だんだん自分がそれに加担しなくて幸せだったというような、かえって内向的な気持ちになっている。自分にとって逆に会社が、本物の社会より社会になったような感じ。だんだん社会全体における自分の仕事のあり方がわからなくなる。会社の中における自分。

 

以前の仕事をしていた時は、自分が部長命令で法的におかしいことをさせられそうなときには本気で断って責めていたし、意見していたし、泣きそうになったりちょっと泣いたりしていた。今の会社では、自分を守ることには必死だが、自分がその仕事を外れたら、次の人がかわいそうだと思う。でも自分はすごく体調も良くなるし、泣くことも少なくなるのだ。そんなだらしなさが嫌だと思う。

 

以前は若かったこともあるが、自分の仕事を社会にとって誇りあるものにしたいと思っていたのに、今は自分を守ることに一生懸命だ。まるで本に書いてある「年を取ること」みたいな話だ。

 

内部監査は内向的になりがちな社内の治安を守るために、モラルを持った人の目を入れて人を解放してあげるためにとても大事なものなんじゃないかと思った。でも実際には内部監査の人を誰も相手にせず、全く経営側も内部監査をバックアップしない様子も目にしている。

 

内部監査人協会という団体があることを知った。女性会長がいるらしい。この講義は実際の企業を例として取り上げて取材しているような回もあるらしく、とても楽しみ。家で授業を受けられるし内容もすごく面白いので、放送大学に一生所属したいと思う人がいるのもすごくわかる。入学すればいろいろな授業を見ることもできるし、仕事をしていないときなんて暇つぶしにも知識向上にもとても良いじゃないかと思う。齋藤先生もお話しされていたが、内部監査は外の人に見られることはほとんどない。だからこそ、こうした授業で色々を知ることがとても楽しそうだ。実際に自分が渦中になったとき、知識がないとただ受け身になり、内向的になってしまう。自分が今そのもので、このまま傲慢にも生きていったら、人を貶め手を汚す人間になってしまうだろう。

 

しかしこの授業の面白さ、久しぶりに授業というものを受けたにしてもすごすぎる気がする。自分が学びたいことを学んでいるからだろうか。

 

決算がひと段落してやっと見ることができる授業はよいものだ。仕事終わりのビールが好きな人ってこんな感じだろう。私は今の仕事にセンスがなくてストレスばかり溜まっているので、いっそ熱心に勉強して、知識で打ち勝ちたいものだ。本当に大学というものは働いてひどい目にあってから行くものだと思います。