いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

もっと明るいうちに家に帰りたいということと殿上湯の住み込みについて

学校を出て最初に就職したのは2018年4月。今は2020年10月。なので働き始めてから2年半と言うことになる。案外経っていないなと思う。最近では教育訓練給付制度を利用して、もっと違うことも学びたいなと思うようになった。

働き始めてから、働き続けることと人間としての能力は全然関係がないなと思っている。同じところで働き続けられるか否かは、体調とか前向きさとか、性格の占める部分が大きいと思う。それに働き続けても、人間としての能力が上がることは部分的にのみで、1年を超えて同じところにいても、特に大企業の場合、自分の人間としての能力が上がると言うことは極めて限定的で、環境が悪い場合、自分にとっては帰って生活は荒廃してしまうと言う気がする。

私が人間としての能力と呼んでいるのは、自分でできることがあると言う能力のことだ。例えば、帳簿をつけられる、パソコンのソフトを使えるようになる、上手に電話がかけられる、外国語の書類が読めるようになる、問題ない契約書を作れるようになる、など。美味しい野菜を作れるようになるとか、売れるコピーをかけるようになるとか。

今の会社に勤めて1年経った。前の会社には1年半勤めた。その結果だいたい自分より上の人がやっていることは、その権限さえもらえれば試行錯誤して私にもできるだろうと言う次元にまでなっている。同じようにはできなくても、同じ目的のものは自分なりの方法で作れると思う。もちろん自分としてそれを作ることに大して興味がないと言うものもある。例えば今経理として働いていて、財務三表を作ることが多分この仕事の一番トップの部分なのだが、これには全く興味がない。確かに財務三表を作ることは大事だが、今の会社の財務三表を作ることには興味がない。今の会社に大して興味がないからだ。就職した当時は会社に大いに興味があった。小さい会社に勤めていたから、大きい会社はこんな風に物事を管理しているのかと、感心することもあったし、周囲の人はパソコンを使いこなしていてすごいと思った。でも1年経って、同じように同じことができる自分がいる。地雷みたいな仕事の匂いは嗅ぎ分けて避けることまでできるようになった。結局ここから先は年齢を重ねることでできるようになっていくことが多いんだと思う。毎日そう思っている。自分が何かをできるようになると言うことは爽快だ。いつまでもその気持ちを味わっていたい。自分が何かをわかると言うことも最高だ。いつまでも何かを学んでいたい。それに今までに自分ができるようになったことは世界のために生かしたいし、人を安心させたい。この会社でどう言う仕事をしてどう言う風に偉くなるかと言うことよりも、自分がもっとすごい人間になっていきたいと希望がある。そのことが上司には理解されない。

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最近は全然ブログも書けていなくて、このことが私にとって不自由な気持ちの源泉になっている。今まで大切にしていたことを時間のせいで諦めるのは辛い。最近は朝4時に起きようと思って色々工夫している。

 

お金を稼ぐことは確かに大切だが、2年半働いて、100万円を貯金することができた。私にとっては、これ以上貯金するべきと思えない。この国は、ものすごく貯金するか、貯金がほとんどない人にとっていきやすい制度が整っていると思う。だからこのくらいの貯金でいいと思っている。多分ものすごく貯金する人は先祖代々ものすごく貯金があるか、それともものすごく働くかしている。私は親戚は割と早死にの人も多いし、体も鋼ではないので、早く帰って早く寝たい。それなりの稼ぎでいいと思うようになっている。もちろん正当な仕事でもっとお金が稼げるならいいけれど、会社ばかり大きくなって、世の中にかえって迷惑を生み出しているような仕事でもっとが激しく迷惑を散らかしてお金を稼いでいこうとは思っていない。確かに病気したらどうするのかと言う声もあると思うが、もし旦那が病気をしたら、私は肉体労働をすれば日給1.5万円くらい稼げるので、それで1ヶ月働けば今よりも、今の上司よりもお金を稼げる。それでなんとか乗り切ると思う。私自身が病気になったら、お金を貸してくれる人はいると思っている。自分もちゃんと返すし。一応毎月800円くらいの保険にも加入しているしね。今はお金を貯めるより本など学費などを払ってどんどん自分を強くしていきたい。

 

それにしても2年半しか社員(バイトのぞく)として働いていないと言うのは意外な気がする。もう5年くらい働いているような感覚だ。

 

最初の仕事は月給18万5000円。今の仕事は月給24万円。

前者は家賃手当5万円付きなので、大して変わっていない。私は家賃手当という制度がどうにも気持ちが悪くて、生活が会社に保障されているというのが受け入れられなかった。会社はお金を稼ぐ場所で、生活の頼みにする場所ではないという感覚をずっと持っている。自分の親はそれとは正反対に、生活を全部仕事に頼っていた。私はその苦しそうな様子を見て育ったので、会社を辞めてもいつも何かをして稼いでいけるようにしなければと思っている。

会社を辞めてもいいようにローンも組まないし、車も買わない。携帯電話でさえ一括払いで購入する。毎月払うお金のことをあまり考えなくて良いように、家賃に水道代が含まれている家に住んでいる。

私が毎月払っている固定費は、

家賃、ガス電気代、インターネット、格安SIM携帯電話、積立NISA、散髪、旦那実家帰省代金。で11万円程度。それに食費6万円程度(多めにしている)。20万円あれば通常の生活はしていけるようになっている。今の給料は手取り23万円程度なので、入用の時のために3万円程度は貯金できる。本当は給料の半分程度で生活するのが理想だ。これで家賃がかからなければ、10万円程度貯金できるのだが、居候するところがないので仕方がない。それに居候というのも自立できていない感じがして居心地が悪いと思う。

 

例えば居候して掃除をしたとしても、やっぱり居心地が悪いと思う。私はそんなに掃除得意じゃないし、プロの仕事はできないと思う。それだけやっているなら極めるかもしれないけど、私も居候している間もやることがあるから片手間にやると思う。そうするとやはり家賃分のバリューを提供できていない。それはよくないと思う。だから人が足りないとかの店に居候をして、店に一定時間出る代わりに住む場所を提供してもらうみたいな形がいいと思う。それに私もいつかはそういう場所を自分で作りたい。そんな場所を提供してるのが見つけた中では殿上湯という銭湯だ。

denjyoyu.tokyo

普通の居候ではなくて、ちゃんと仕事の役に立てるというのがいいと思う。私もこういう場所を作りたい。殿上湯の人はツイッターとかもやっているけれど、見た所、どういう気持ちでこれをやっているのかを公表していない。けど私はこの人がどういう気持ちでこのシステムを導入しているのか知らないけれど、やっていることは完全に私がやりたいことだと思っている。

 

殿上湯にどうして私が行かないのかというと、この銭湯では決められた時間に働くことを要請されると思われるのだが、今の仕事はそれに合わせられるかわからないのと、住んでいる人がキラキラした人ばかりであるということと、部屋が畳であるということが大きい。部屋が畳だと旦那がアトピーになるので、ちょっと住めないのだ。旦那はたまに痛風になるのでその時期は働けなくなることも確かだから、それもちょっと問題。あとキラキラした人ばかりのところは居心地が悪い。

 

私はとても銭湯が好きで、将来は銭湯をやりたいくらいだ。というか本気で検討している。私はなんでも水が出ているところが好きで、地面から生えてくるもの、例えば湧き水温泉、草なども好きだ。地面から出てくる虫も好きだ。銭湯は水が出てくるところでみんなが気持ちよくなるところだから好きだ。

 

私が将来同じようなことをやるとしたら、もっといろんな人にウェルカムな場所でありたいし、大人数を受け入れて、シフトも柔軟性を持たせたい。自分の持っている物件だから事故物件になることも恐れずに年が上の人も受け入れたい。

 

そういう風な理想を持っているから、私は始めたらその場所をどんな方法でも守ることが必要だし、そのためにはお金を集める必要があるから、人間としての能力を高める必要がある。今考えているのは建築学校への進学で、家をなおす仕事に従事しながら、学校でも学びたいと思っている。私の考えではこれから家に住む人がどんどん減って、空き家が増えると思う。その時には一団の空き家を買い取って、無料の寮の団地みたいなものを作りたい。そして何かを生産する仕事を行なって、誰もが自分の住む場所を苦労なく確保しながら働くことのできる、心理的安全性のある場所を作りたい。

 

こういうことをずっとブログに書いていって、その流れの中で達成するみたいなことをやりたい。だから私にとってブログを書くことは大切なのだ。

 

私の会社は大きい会社なのでM&Aをやっていて、ソコソコの中小企業を買収して自分の会社に組み込むみたいなことをやっているのだが、働いている人の給料がそんなに増えるわけでもないし、今まで自分でいいと思って仕入れたものを使ってサービスを提供していた店長さんが、これからは本社で指定したものを使うようにと言われたり、今まで会社に全部書類を送っていれば実際のサービスに関係のない処理は本社の人がやってくれていたのに、今度はM&Aして店舗が多くなったから自分たちで処理しなければいけないとなって仕事の時間が増えたりと、見ていていいことがあるようには見えない。お客さんとしてもどうなんだろうか。M&Aして幸せになったんだろうか。それをいつも思っている。大きい会社だから安全というのと、毎日利用して楽しいサービスとか、気楽なサービスとかいうのはわけが違うと思う。私から見ても現場の人は本当に優秀で、それこそ人間としての能力が高い人たちだ。この人たちがだんだんただのサラリーマンになってしまうなら、それはM&Aで買った会社も売った会社も罪だと思う。

こうした流れに打ち勝つためには、やはり中小の企業が強くなることだと思う。企業でなくても、ノウハウを持っている者同士が融通しあい、誇りを鼓舞しあい、協力してM&Aなどの企業や売上の規模を拡大してお金を生み出し無理やりな労働環境を生み出そうという流れに対抗していくべきだと思う。そのことは私が会社に頼って生きていかない人間になりたいということと同じで、M&Aに頼らないで自社で生き残っていく会社でありたいという気持ちをどの企業も持つべきだと思う。

私が以前に働いていた中小企業は非常に良いものを作っていたのに、自力ではその製品を売ることができず、大手流通にペコペコだった。私たちの給料は上がらないし、退職金の少なさに部長が青ざめてしまうような会社だった。私たち若手の給料が増える時には次長の給料はその分減った。こんなのおかしいじゃないかと思う。作っているのは私たちなのに。いつも新しいものを生み出さなければ、ノウハウを流通先に盗まれる。けどそれができていないから、いつも損をしていた。こんなはずじゃないはずだと思う。私は強い個人となることで強い事業を行い死んでもその事業を手放さないで常に優れた集団でありたい。

 

いつも書いていて涙目になってしまうくらい違和感を抱えていて、このままで終われないと思っている。