いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

子供ショートカット

親子

 「お父さんとお母さんは私のことが好き?」

 「好き」「好き」

 「将来に何になってほしい?」

 「なんでも好きなものに」「成り行きに任せればいい」

 「なんでわたしをつくったの」

 「愛し合ったから」「小さなものがひつようだった」

 「小さなものが必要なら猫を飼えばいいのに」

 「おとうさんは猫アレルギーだからだめなの」「そう」

 

人事と若手

 「どうして会社を辞めるなんて言うの、まだ決断するには早いでしょう」

 「早ければ早いほどいいのです」

 「それはなぜ」

 「性格がねじくれてしまうとなおりにくいので」

 「どうして会社が嫌になったの」

 「働いている人が子供みたいだから」

 「それはどういうこと」

 「みんないじめられた子供みたいにねじけているんです。成長もなく、人に恥をかかせることにしか興味がない。」

 「私から何か注意しようか」

 「注意の問題ではないのです。精魂の問題なのです。」

 「ちょっと待ってくれない?」

 「不可です。私は損切りできる人間です。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

関係がないのですが、

この短編集に乗っている話、どれも読後感が悪い(世間的にはめでられるものかもしれないのだが、私としてはすごく読後感が悪い)ので嫌いだと思いました。

 全体に被害者意識がみなぎっている気がした。

掌の小説 (新潮文庫)

掌の小説 (新潮文庫)

 

単純に考えれば、世界は自分より大きいので、そこで生じた不幸なことを被害だと考えるのは容易い。それを被害だと捉えず能動的に立ち向かう心で感じ取るような小説が好き。

 

こういう問題が生じた

悲しいでしょう、辛いでしょう、ひどいでしょう

だから読者にもそれをべたっと塗りつけます、ハイ終わり、それは嫌い。