前やっていましたが最近めっきりやらなくなりました。勿体無いと思います。色々なことを考えて、やはり語学は、今の会社のために使うか否かは別として、勉強し続けるべきだと思いました。理由は以下です。
・中国の首都北京で働きたいから
私は北京という場所がとても好きです。なぜなら、私の使いたいものにお金を使える環境が整っているからです。私がやってみたいと思うことや、食べてみたいと思うものや、理想とする休日の過ごし方、一緒に働いてみたいと思う変な人たちがたくさんだからです。あと、私の美意識が中国の若い世代のそれととても似通っており、彼らとなら仲良くできると思います。街並みもとても好きです。その街中の景色も毎日変わっていき、好きであった道路もすぐになくなります。でもそれさえも愛していると言えるくらい、北京が好きなのです。私は三度の飯、親兄弟より北京がもちろん好きです。もともと親兄弟がそんなに好きじゃないというのもあるのですが、まあそこのところおいておいて。ちなみに中国で夜行列車などに乗って隣の席の人と話したりすると、自分がすごく親不孝ものでこの国では悪であるような気がしてしまうのですが、そんな感覚も中国ではどこかの若者が一緒に悩んでいるんだというような気持ちがあって好きなのです。中国にいると自分は病気になるという気がしないのです。毎日死ぬほど楽しいと感じてしまう。特に働くなら北京が良いです。あの場所は移動しやすいし、好きです。空気が汚いとかよく言われていますが、私にとってそんなことはたいして問題にならないんです。逆に空気が綺麗なはずの日本にいて退屈すぎて顔面ピクピク症状にかかったりしている。その国やその都市が目指している方向や美意識と自分の美意識が重なりあう快感というものを私は初めてあの場所で感じてしまったのです。だから私は北京で働きたいです。もう一度言わせてもらいますが、私は中国にいると病気になるという気がしないのです。人は一番楽しい場所で過ごすべきだと思います。今やってる仕事は興味深いけれど、中国でやったらもっと楽しい。
色々考えて書いていたけど、理由、北京が好きだからってだけだった。他のどうでもいい理由は全部消した。
この連休中かなり本を読めているのだけど、本を読んでもちゃんと自分なりのことをかけていないなと思う。簡単な本を読んで自分の人生に取り入れ、パッチワークみたいに生きていくのはどうかな、よくないと思う。それでは誰もが読んだ本の組み合わせのようになってしまう。ブログを書いていると、自分のやり方が露出するから、なんとなく怖くなってパッチワーク人間になってしまいそう。でも自分が今の自分だから話せることを書いていきたい。自分についてちゃんと話をしながら、何食わぬ顔で日常は過ごしていきたい。助けてセネカ。チープになってしまう。誰も読みきれない長編小説を書いてみたい。何も本当ではないやつ。