いのちばっかりさ

生きている記録。生業。通信制大学。天平の甍、生の短さについて、狼煙

嫁姑問題

またしても嫁姑問題が発生した。普通に私が悪いのだが...。でも私にそんなこと求められても無理だしだから働いてるんだよと思った。

ストレスが溜まって体に悪いのに辛ラーメン食べてしまった。

 

後仕事についていえば、上司とおくにいた方が良い。

 

久しぶりによく寝た

久しぶりに良く寝た。

そのあとジョギングにいくつもり。

 

山上徹也さんは宅建測量士補を取ってたそうだ。私にもそれは自分で暮らしていこうと一生懸命な時に取る資格だと言うことがわかる。私も働き口が怪しいときに両方受けたからだ。(測量士補は落ちた。)

 

最低賃金で働くことを回避するために取ることで定番の資格なのだ。

 

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違う話だけれど、私は仕事でもなんでも細部にこだわりたい。細部が仕事する人にとって最も大切で、張り合いにつながるからです。それは本社の人にとっては細部でも、働く大部分の人にとってはそれが仕事の一番大きな断面なのだ。

 

別の話だが、将来もしくは今日もしくは明日、もしくは過去からどんなわざわいが私を餌食にしようとも、私にとってかけがえのない幸せがある限り何度でもその健康のために取り戻せるだろう。憚らず言うのなら人も殺せるであろう。与えられてから奪われたか、ないものを手に入れたのか。私とそのテロリストは大して変わらないじゃないかな。もちろん人間というスクリーンに二種類の映像を映しただけなのだ。

 

それにしてもあまりにも明るく、家庭菜園でもするように私たちはふたりで一人分のうだつをやっとあげている感じ。二の腕がプルプルしている。

 

読んだ。ロバとかヤギとか見たい。いい感じの牧場ないのかな。

今日は歩いた。

スナップエンドウと絹さやのプランターに支柱を刺した。

 

墓参りに行った

墓参りに行った。家から多分1時間半くらい。

夏くらいに生えたと思われる草(通称バカ)が枯れて、墓石になだれかかっていた。どん兵衛の丼みたいなやつが隣の墓との間に捨てられて挟まっていた。土が石段の上に被ってしまい、墓石の色が黄色く変わってしまっている。私の親は墓に来ていないようだ。何やらいきなり雨が降ってきた。びしょ濡れである。

土を綺麗に掃き清めて水をかけ、ボンタンアメを供えて濡れないよう急いで線香に火をつける。うまく行かず夫にやってもらう。花を入れ、夫がゴミを片付けてくれ、2人でお祈りして帰ると晴天だった。

別に墓に行かないのは良いと思うのだが、作ったばかりなのにもう土の色がついてしまって勿体無いなと思う。黒い墓もたまにあって、なんであんな暗く作るんだと思ってたけれど、黒いと汚れが見えにくいし意味があったんだなと思った。びちょびちょになって疲れたのか、帰って2人で寝てしまった。帰る時に墓石のすぐ横に車をつけてトランクのドアを屋根代わりにしながらおにぎりを食べている家族がいた。おにぎりは整った形で海苔が巻かれていてシャケが入っている。あんないい生活いつかしてやるぞと思う。

花も1,800円もするやつを二つも立てているんだろう。私のは600円で一本だけだ。それでも高い。そんないい生活いつかしてやるぞと思う。たまにいつもしないこと、いつも来ない場所を試していつも見ない階層の人を見るのも良い。

 

私には墓参りの習慣がないが、自然のある広い場所が好きなので墓は割と好きだ。夫は墓参りするのはトイレしたあと流すのと同じでしないと気持ち悪いと言う。来週は夫の実家の方の墓も行くことになっている(やってもらったらこちらもやるのが普通だと私が思っているので)。夫の実家に泊まるのは手間がかかるので、日帰りで行くことにした。

職場で夫のことを旦那と呼んでしまうのだが正しくは夫と言うべきらしいのでブログでも練習する。

スナップエンドウと絹さやと多分紫蘇。

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3月と4月の自由な時間にやりたいこと

  • 勉強する。
  • 海を見にいく。
  • ビーチにテントを張ってサンドウィッチを食べる。または握り飯を食べる。その際キャンプ用のバーナーでお湯を沸かしコーヒーを淹れる。
  • ひたすら会計の本を読み漁る。
  • 図書館で朝から晩まで本を読みまくる。
  • ひたすら歩く。
  • 山へ行く。そして尾根を歩く。山が尾根だけなら良いのに。
  • 行政書士の受験書を読む。
  • 会計士試験の受験書を読む。
  • ケバブ食べる。
  • 体の調子について調べる。

 

勉強しなくちゃダメだ勉強しなくちゃダメだと思っているけど、一体この仕事をいつまで続けるのか?意味があるのか。体調はいつまでこんな感じでいられるのか、病気になってこの仕事を後悔しないかと思っている。

でも資格を手に入れなきゃ次の仕事にいけない。頑張るんだ。会計士になるんだ。がんばれがんばれ。

給料の半分で暮らしたい。

スナップエンドウ(と、多分紫蘇)。

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家計はうまくいってなくて、とても大変な気持ち。

家賃手当があり、残業代が支給される会社で貯金ができなかったら、もうサラリーマンしながら貯金することができない人だと思う。4月からは引き締めていきたい。

子ども産むべきか生むべきでないかとか言ってたが、良く考えたら2ヶ月で2万円くらいしか貯蓄増えてないので全然無理だったので落ち着いた。可能性がほぼ不可能なレベルまで限られると安心するものだ。つまらんことに、と思った。

スナップエンドウの葉っぱの端にギザ銭みたいになっているやつがある。一番最初に出てきた葉っぱなのであればタネの中で折りたたまれていたからかなあと思うけれど、そうではないので、どうしてギザギザなのかちょっと気になっている。去年もこんな感じだっけ?

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www.pixivision.net

 

ドット絵は動かない方がいいじゃないと思っていたけれど、そうでもないとわかった。上の記事に貼られている犬と女の子が一緒にいる絵とか、動くことで何故か永遠のものに思える。犬と女の子を認識したその瞬間の動きが永遠に繰り返される。うわーすごいと思った。

staff.hatenablog.com

自分の大好きなはてなブログの機能として「こよみモード」があるのだが、これもちょっと永遠を感じる機能だからだ。永遠を感じるものを作りたい、、、。本当にそう思っている。

壮大な責任

子供を育てることになんの意味があるのか最近そんな話ばかりしている。一体どんな人間になり得るのか、それが全くわからない他人の子供(誰から生まれたのか最低限の情報が得られたり得られなかったりする養子)でもよいのか。

子供を育てることは面白いだろうけど他にもっと面白いことはいろいろあって、子供がいると逆にそれができなくなる。何か大きな土木な政治を成し得ない自分たちにとってそれは自分より長く生きるものを育てる唯一の趣味であるという点で特異で、それだけに大きな献身を、集中を強いる趣味でもある。

 

自分の血が流れる、自分の配偶者の血が流れる人間しか愛せない献身できないという考えは自分には受け入れられない。だからと言って他人の子供を壮大なくじ引きのようなそれを育てて、良く思って楽しめるのか。ある意味でハズレな事態になってもそれをハズレと捉えず言葉にして感謝できるのか。神の存在が必要なように思えてくる。

 

事態を超越した神の存在によって行為が肯定されると思わなければやって行けない事態になっても受け入れるのか。悲劇を生む子供という存在(親を打ちのめすこともあり、殺すこともあり得る)を受け入れてそれを滋味とできるのか。私は現実以外のところで神が肯定してくれると思うような考え方は受け入れられない。

 

たとえば最初からある意味ではハズレという事態が見える子供を受け入れるのか。たとえば自分の夫を殺そうとする子供を受け入れるのか。それは敵なのに、そういう可能性が考えられるのに他人を受け入れられるのか。

 

自分の子供でも他人の子供でもそれは同じことである。私がいなければ親はもっと健康に生きられた。それは私には間違いないことだと思っている。死ぬ必要もまだなかった。子供は親をボロボロにする。特に私のような神経が弱い人間には。家の壁が崩れかかってくる。ハズレ以前に自分が子供にとってハズレであることは疑い得ない。子供のためにボロボロになってしまう親なんてハズレなのだ。頼んでもいないのにボロボロになるなど子供以外にとっても悲惨なのだ。

 

世界に対して献身することがかなわなかったから子供を代わりにして勝手にボロボロになるまで献身しようとしているなら、自分は大馬鹿者大迷惑だ...。

 

自分以外の人がみんな強く生きていると誰か言っていた。自分は弱い部類だということを自覚したら、ダンゴムシのようにずっとしゃりしゃり生きるしかない。自分は本当にどうして夫と出会うことができ夫を信じ得たのだろう。子供1人他人1人でもこれほどに恐れているのに。

 

今日は黄色い月が出ている。

歩いていく

朝早く起きて仕事前に肉のハナマサに買い出しに行く。俺たちはいつも2人で行くのだ。2人でいると良い。どこか違うところに行ってしまうこともないし、2人だから二倍覚えていられる。ハナマサ伊予柑が美味しいので重いけど買う。肉も買う。牛肉が買っても良いという値段と鮮度で売っているのは東京ではここだけ。

旦那の実家でお義父さんがボケてきたという話を聞く。中学出てからずっと働いていたから、ついに働かなくなってボケるのは当たり前のようにも思う。でも働かなくてよくて今が一番幸せだと言っているらしいので良かった。働くのが好きなのだと思っていたけど違うらしい。FIREの本なんか読まないし毎日仕事をやって頑張ってるし、朝から晩まで働いて文句も言わず、テレビを見たら酒やタバコだけで生きている人も、働かなくていいのが幸せと思うんのであるなあ。

働かなくて良いというのは自分で判断するしかなくて、たとえ金がなくても働かなくて良いと考えることはできる。そうしないといつまでも働くことになる。豊かさには上限がないのだ。

お義父さんは働く場所がなくなったのだが、働かなかなくてよくなったと言っているのでよかったと思う。たとえ金がなくなっても、借金しないその年になったら限り家を取られることはない。

南の地で生まれ、労働に放浪したのちに山に囲まれた甲信越で平和な日々を送っているのだなあと思う。

 

ボケたら困ると言ってる人はボケる本人の心配をしてるのではなくて自分の心配をしてるのである。ボケた人に何もしないでボケさせておくわと思う。そして別に長生きさせる気もなくそのままにしているだろうと思う。そしてだんだん死が連れていくのだなあ。けど、引き留めようとして囲い込めばそれは長生きしてしまうだろうと思う。旦那がボケたらわたしはずっと一緒に歩いていき、歩きながらだんだん死に連れていかれるところを見るのだろうか?

 

 

アフガンの息子たち

アフガンの息子たち読んだ。静かな感じが良い。みんながうまく抜け出せるのでなく、死んだりするメンバーがいるのは冷静でよかった。変な恋愛の要素が入ってくるのが嫌だなと思うような静かさがあった。所長が一番好きな人物だと思った。他の所員人は感情的すぎる。

淡々とした話が読みたい。

 

ハロルド・ジェニーンのエピソードを読んでいる。会計を片手に現場に入っていくところが面白いと思った。激しく勉強して解明しようとしている。それがいい。こういう本を読んでFP &Aが好きとか言っている偉くなる気まんまんの若い人たちが、今は経営の方だけ向いて一生懸命報告を作っている。そんな情景にまず反感を持つ。管理会計は正確性や再現可能性なんかより有用性が優先されるときいてから、管理会計は自分の敵だと思ってきた。実際管理会計を担当する人がいつも不真面目すぎる。仕事より金が大事、昇進が大事と思っているように見える。全く脈略もない理屈の説明もできない数字をインプットしている。てきとうすぎだ。

私は自分が管理会計に興味を持っていることはわかっているけど、どうやってそれを人類の幸せのために使えるのか、生活のために使えるのかそれがわかっていない。だからそれをわかるようになりたい。

 

法人税入門の入門

法人税について知りたい時最初に読んだ一冊。引用通達の番号などは書いてないけど、内容はわかりやすい。次は消費税のほうを読みたいけど、その前にFP&A入門を読む。

 

これから読む本。

 



 

肉を買いに

昨日肉を買いに肉のハナマサへ。肉が安い。東京にも肉が買えるところがあった。家から1時間くらい歩くので週末にはよい。でも東海地域にいた時には家から徒歩5分でこれよりもっとよくて同じくらいの値段の肉が買えていたので、東京はほんとどうしようもないなと思う。

 

本日は髪を切りに。いつも同じお姉さんに切ってもらう。東京に来てから白髪めちゃくちゃ増えたということを言ったら、そうだなーという感じだった。カット料金が1,200円から1,700円に値上がりしていた。この物価高では妥当だと思う。