いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

最近のこと

電車に乗って通勤しなければいけない。通勤すると思うと胸がぐっとなる。仕事の内容への憂鬱さに加えてコロナウイルス感染の恐れがあるときに違うコミュニティーにいる人たちと同じ列車に乗らねばならない。電車の中で2メートルなんて距離は取れるはずがなく、せいぜい20センチ離れられれば良い方である。時間をずらして通勤しているのにこの様子だ。

精神面がうまく行ってないと免疫が下がるとは思っているが、恐怖を感じなくなる薬でも飲めばいいのだろうか。これも精神的に崩れた者の恒例なのかもしれないけれど、恐怖を感じるほうが正しく、感じない人は強いて感じないふりをしているのではと思う。

会社の人は良く、死んでも仕方ないとか、死んでも別に後悔はないという。団信にしてるから死んだら家が残るとか話している。私はそんなの最悪だと思う。生命保険に入れと上司は言う。生命保険に入りたくないし入るつもりもない。私は生きることしか志向しない。

この前リスク(選択)に関する本を読んでいたら、ギャンブルで大きな賭けをするひとが、毎月高い掛け金を払って保険に加入しがちという話が書いてあった。大きなリターンが好きってことかな。生命保険をかけて安心して派手な賭けに出るタイプの人と一死に働いてはだめなのではと思う。

同じように命を大切に思う人同士集まって働くことになったら、日頃は高めの給料を出して貯蓄を促し、緊急事態宣言が発令されるなどしたら(もしくはそれ以前から)会社を閉じるもしくは休業するなどするか、リモートワークにするなどの対処をするだろう。

人間の命は金銭で測れない価値があると思う。というかそもそも金銭は人間の命の価値など測るつもりで作られたのではないはずなのに。単純に金銭で考えたとき、死んで払われる保険料と働き生きて残すことのできる金銭が同じ程度だとしても、それなら死んでもいいということにはならないだろう。不健康だと感じる。

ホワイトカラーのサラリーマンは家を奪われ銀行預金を奪われると、途方に暮れてしまう。しかし行商人はすぐに立ち上がって歩き出す。そんな事には慣れっこだからだ、というような言葉を最近どこかで読んだ。私もかつては行商人であったはずだ。読んだお話を全部頭に蓄えていた。知識を貪欲に信じていた。奪われても奪われないものがあった。今だってそうあるべきなのに好景気に惑わされていた。働けば働くほどお金がもらえたからだ。でもそれは自分を消耗することだ。

 

生命保険をかける労働者でなく、学び生き延びる労働者でありたい……。健康に生きたい以上の願いはない。自分が死んで金が残されようと、私が守ってあげることはできないのだ。

 

東京の感染者率は0.5%程度。200人に1人。ただし通勤していない人も含めてこの数値だ。通勤している人はもっと感染しやすいだろう。200人に1人といえば、600人の職場なら3人いておかしくない。

 

 

コロナにかかったらどうなるんだ

どうなるか本当にわからない。後遺症についても未知数だ。通勤で感染して旦那に移して悪化したりしたらどうしようという心配がある。本当にこういうときはどうしたらいいのかわからない。とても辛い。入院したらなかなか死にはしないだろうと思うけれども、病床足りず入院もできないとなったらどうしたらいいのか。

昔喘息だったので、酸素の値が下がったときの辛さは知っている。

どうしたらよいのか。命がかかっているだけに辛い。

虎は性に合わないのではないか(猫にしよう)

虎というと山月記を思い出してしまうせいか、あまり落ち着かなくなっている。そのため虎の絵をかいていたが、猫にしようと思う。仲間だしいいだろう。

 

子供の時よく読んでいた本を古本屋で見つけたので、つい買ってきて、読んでいる。こんなものを読むから一層周囲になじめなくなったのだと思うが、やはりいい本だと思う。この本は続編もあるのだが、なぜか続編に関する記憶は全くない。教員免許を取ろうとしていた時、日本史の模擬授業をする際に、この本を教材に使った気がする。河上肇に関する部分を引用した気がするのに、今回読んだところには思い出す文面がなかったので、続編のほうだったかもしれない。河上肇の自叙伝があるというので、それもそのうちに読んでみたいよと思う。こういう本を読んで落ち着いているところを見ると、やはり私の感じ方考え方は私の読んだものによって慰められ、認められて形成されていったのだと感じる。それが今の生きにくさを生み出していると言われればその通りだと思うけど、それ以外の方向に自分が成長できたのか定かでない。

羊の歌―わが回想 (岩波新書 青版 689)

羊の歌―わが回想 (岩波新書 青版 689)

  • 作者:加藤 周一
  • 発売日: 1968/08/20
  • メディア: 新書
 

 

以下引用

しかしほんとうに信じていることと、信じていると信じようとしていることとは、ちがうのであり

 

その恢復期の間、生きていることは、それだけで、貴重なことのように思われ、傍から見れば取るにも足らぬ小さなことが、私には、世界中の何ものにも換え難いよろこびになった。一杯の熱い番茶、古い本の紙の匂い、階下の母と妹の話し声、聞き覚えのあるいくつかの旋律、冬の午後の澄んで明るい陽ざし、静かに流れてゆく時間の感覚・・・・・・そのとき、「死」とは、そのよろこびを私から奪うものに他ならなかった。私は自分の痩せた手肢をみつめ、それが焼けて跡かたもなくなるだろうということ、またその手肢を見つめている意識そのものが消えてなくなるだろうということを想像し、そうならざるをえないように出来上がっている世界の秩序そのものを、憎悪した。

 私はいろいろな本が好きだったが、このように生きたいと思う人たちはちゃんとした職業についていた。加藤周一にしても医者だったし、セネカは皇帝の家庭教師だったし、文豪はちゃんと文豪だった。私は昔から何物にもなれていなかった。今も何物にもなれていない。

 

私は旦那と一緒にいるようになって、旦那さえ元気ならいいと思うようになったことはもちろんだが、今までただの箱としてとらえていた部屋が、一つ一つ役割を持った部分によって成り立っており、そこに置かれたマットや、それぞれの役割を持つ洗剤や虫殺しの薬などを生活だと大好きになったし、二人で話し合って買ったサボテンや、収納に一向に頓着しないでいる私に呆れつつ旦那が見繕って買ったきた食器を置く棚などをいとしく思うし、そんなちいさなことこそがわたしにとってよろこびであると感じるようになった。豪華な物品も、車も、豪邸も、旅行も、カメラもいらない。お互いが健康で一緒にいさえすればいい。

 

いかにしても死にたくはないし、旦那に苦労を掛けたくはない。この何物でもない自分が幸せに生きていくにはどうしたらいいのかと考え続けている。そのせいで憂鬱になっている。何物でもないままの自分では、追い詰められたときに人を殺して先に進むか、人を殺さずに自分が死ぬかしか選択肢がない。その時第三の道を開ける人間になるにはどうしたらいいのでしょうか。

 

最近旦那がなにか言うときに会社のことを引き合いに出してくると、心の中に不安が沸き上がって止まらなくなり、あまりのことに黙り込んでしまう。このような状況ではいけないと思う。職場のコロナ対応のあり様に対する反感と、この職場にとっての些事が私にとっては重大問題であるという、すれ違いのため、仕事について考えることがつらい。またその些事のために自分は罪の意識を感じていて、結局金儲けそのものが自分には適していないという風に今は思っている。おそらく利益を出すために仕事をするのであれば、私が気にしていることは些事であり、私のような一社員にとっても、お金をもっともっと稼ぎたいと思っているのであれば、このことは些事である。しかし私は自分の良心にかなう仕事をしたいと思っていて、最近はいっそ自分の良心の赴くままに会社以外の場所で働いたほうがいいだろうと、そうとしか考えられないではないかというようなことを思っている。これから不景気な時代が来るだろう。私は今度こそお金のためには働けないと思う。そしてこのタイミングで不景気になってくれるなら、お金のために働かなくていい。むしろ勉強する方向に戻れると思って、安心している。

 

職場で利益を生み出すための社員としてあまりにも不適切な自分自身の存在には何ということもできない。私の親戚には戦争が終わってから内地に帰ってきて、軍人として働いていた仕事を失ったものの、利益を出すこと自体が受け入れられず、どのような仕事にもつけなかった人がいた。その人は最後は塩を塩田で作る仕事を行っていたらしい。それ以外の仕事は一切続けられなかったそうだ。私が共感するその人物でさえ、「元軍人」だった。私は何物でもない。何物かになることをいつも避けてしまう。

 

本日図書館帰りにどこかを見て回りたいと思っていたところ、気になっていた洋食屋に人っ子一人入っていないので、入ってみることにしてカツカレーを頼んだ。驚くべきことにお店の人はマスクをしていなかった。控えめなクラシック音楽が流れる中で、ここは個人店なので、この人たちにとっては自分の家なのだということを思った。まるでコロナ以前の商店街に戻ってきたような気持になり、脳みそが呪いから解かれたような奇妙な気持ちになった。私はまずいところに来たと思い、すぐに帰ることを告げようと思ったが、なぜかそれができず、この店で食事をして帰るのだと強く思った。このときはじめて私は自分がコロナのない世界に戻りたいと思っている可能性もあると思った。私は基本的に戻りたいと思うことはない。起きたことは大体受け入れている代わりに、出会ってみなければ自分の考えも前もってはわからないというような類の人間だ。私は命を守りたいと思っているが、この店の人は違うものを守ろうとしているんだろうと思う。たぶんそうだ。本来様々なものを守りたいと思う人が存在し、互いに干渉しあわないのが東京のよいところだった。この特異な店に偶然入ってしまうことによって、変形した東京を見た。

会社に従って通勤することで感染の拡大に加担してしまった

自分は自分さえ良ければいいという感情で、会社の指示と同調圧力に従って通勤をし、例えば体についているコロナのウイルスを違う地域に運んでしまったかもしれない。

そのせいで医療崩壊が起き、治療を受けるべきだった人が治療を受けられなくなり、助かる患者が助からなくなったかもしれない。

 

友人はがん治療をいきなりに延期された。早く行うべきものであることは火を見るより明らかである。

 

わたしは一人で行える仕事を持たないばかりに、また金がなくても生きていくすべを持たないばかりに、また貯蓄を使って稼がずに暮らす勇気を持たないばかりにこのような罪を犯して、誰よりも死なないようにいろんな犠牲を払って挑む人、また死にゆく人に対して申し訳ない。

出勤したくない

緊急事態宣言の中も変わらず出勤するという。月次決算のために死にたくない。何がウィズコロナかるただ…。

会社の上層の方から意味のわからないメールが来る。結局私はどうなるの。

どんな業務の作業も馬鹿らしいと思う。何も語らない会社にも来ない社長とかのために、全時代的作業を毎日片付けに行く。会社に来ないのはいいけど、せめてさすが社長と思えるメールの文章を考えてほしい。というか求めている情報を発信してほしい。

 

コロナのせいでいろいろなことがスムーズに行かないが、こんなにめたくただと、いっそコロナを撲滅する方に直接関わる仕事をしたほうがいいのではないかと思ったりして、こういう感情って戦争のときもあったのではと思う。

 

社会全体に「〜〜が悪い」という感情が膨らんで、ならばいっそ悩まされるより志願して戦おう、みたいになってしまう。

けど本当に悪いのは国内の政治、会社のクズさであるということを考えたい。

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こういうことがあると、人はこのためなら死んでも価値があると思うような仕事をするべきなのではと思う。戦争が大量の徴兵を可能にしたのはもしかして、働きがいのない仕事をしている人が多かったからなのではないか。しかしいつの時代も誰かに雇われていれば働きがいのない仕事を生きていくのに少し余裕があるかないかの給料で行うのが一般的で、我々は日和見してそれに甘んじてるのだ。やりがいのない仕事を捨てて荒野に飛び出すのはスッキリするだろう。しかし、誰の目もなく誰と比較することもなければ、私達はただ平和に暮らしたいだけなのではないか。そして周囲の人にも十分に人生に満足してほしいと思ってきたのではないか。それだからこそやりがいのない仕事でもやってきたのだから。それを取り違えた選択をしてはいけないと思う。

 

それにしてもこれほど意味深い選択を私に強いるとは、この世界ほど素晴らしいものはないと思える。選択について、選択することについて考えることは私にどのように生きるのかを問いかけている。問題はこの選択が命に関わる内容であるということだが、命に関わる問題でなくても今のように真面目に考えて本も読んでいたら、これからもっと納得できる人生をおくれそうだ。

年明け

こうやってだんだん死んでいくじゃないか

冬は新年になっても厳しいですが

春はあなたの死んだ季節ですから

用心していこう

 

私は金儲けがしたくない

安いものを仕入

高く売るような仕事がしたくない

この世で曖昧な所有権の枠に

収まらないというだけの

それをしめしめとくすねるような

骨のうずく商売をしたくないのです

 

故郷の家族の不確かな

仕事は

私に言葉を書くよう促します

どこにもいないふるさとの家族に

抱かれて

この大地を愛した

この言葉を愛した

あふれる涙も

霞んだ指先も

ペンを握った手をいたみ

窓に押し付けて山を求めるとき

湖が一斉に雪を映し

稲穂は勢揃いに決起した

あの遺言のない死のように

私に巻き付いて

この冬を生きろと

私のことを一人にしないでほしい