いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

出勤したくない

緊急事態宣言の中も変わらず出勤するという。月次決算のために死にたくない。何がウィズコロナかるただ…。

会社の上層の方から意味のわからないメールが来る。結局私はどうなるの。

どんな業務の作業も馬鹿らしいと思う。何も語らない会社にも来ない社長とかのために、全時代的作業を毎日片付けに行く。会社に来ないのはいいけど、せめてさすが社長と思えるメールの文章を考えてほしい。というか求めている情報を発信してほしい。

 

コロナのせいでいろいろなことがスムーズに行かないが、こんなにめたくただと、いっそコロナを撲滅する方に直接関わる仕事をしたほうがいいのではないかと思ったりして、こういう感情って戦争のときもあったのではと思う。

 

社会全体に「〜〜が悪い」という感情が膨らんで、ならばいっそ悩まされるより志願して戦おう、みたいになってしまう。

けど本当に悪いのは国内の政治、会社のクズさであるということを考えたい。

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こういうことがあると、人はこのためなら死んでも価値があると思うような仕事をするべきなのではと思う。戦争が大量の徴兵を可能にしたのはもしかして、働きがいのない仕事をしている人が多かったからなのではないか。しかしいつの時代も誰かに雇われていれば働きがいのない仕事を生きていくのに少し余裕があるかないかの給料で行うのが一般的で、我々は日和見してそれに甘んじてるのだ。やりがいのない仕事を捨てて荒野に飛び出すのはスッキリするだろう。しかし、誰の目もなく誰と比較することもなければ、私達はただ平和に暮らしたいだけなのではないか。そして周囲の人にも十分に人生に満足してほしいと思ってきたのではないか。それだからこそやりがいのない仕事でもやってきたのだから。それを取り違えた選択をしてはいけないと思う。

 

それにしてもこれほど意味深い選択を私に強いるとは、この世界ほど素晴らしいものはないと思える。選択について、選択することについて考えることは私にどのように生きるのかを問いかけている。問題はこの選択が命に関わる内容であるということだが、命に関わる問題でなくても今のように真面目に考えて本も読んでいたら、これからもっと納得できる人生をおくれそうだ。