いのちばっかりさ

生きている記録。生業。通信制大学。天平の甍、生の短さについて、狼煙

朝6時半に起きれた

とても嬉しい。半袖半ズボンで寝たのと、夜はお茶漬けしか食べなかったのが功を奏したのかもしれない。しかも起きたら快晴で富士山が見えた。最高ではないか。

 

旦那が作ってくれた弁当を食べて昼休みも素晴らしい。世の中ではコロナとそれに反応する人たちのせいでティッシュやトイレットペーパーが売り切れている。マスクがなくなるのはわかるが、トイレットペーパーやティッシュは本当に関係のないデマのせいらしい。

緑茶がなくなるらしいとかいろんなことを行って、「何何らしい」という加速していくバケツリレーみたいで面白い。

ある子育て

 

滑らかな頬を持つ子供を

僕は手のひらでかわいがった

この被害者意識に満ちた子供を

本当に悲しみを悲しめているとは信じず

ついに死に至るように都会へ逃げていくのを

まるで稲穂がしなるのを見るような気持ちで

 

田無行きの電車は空いている

見送って子供は

それもまたありだと思った

 

自分の子供はかわいがった

初めて社会とは関係なくこの手で抱きしめられる

そのすべらかな頬に触れて

夜な夜な喋り続けた

喜ぶ話をすると生きがいをかんじた

もっとかしこくなりたいと思った

子供がまるで家のように彼を守った

休日出勤

旦那がザバスプロテイン飲んでいてちょっともらったら甘かった。朝から飲むのはちときついけど紅茶とかで割ってもいいんかね。

 



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ブログにアップしている写真はグッズ販売にも使っていることがあります。グッズ販売のリンクは以下。

https://suzuri.jp/giveus

リズム

勉強にも重いところとすぐ終わるところがあって、重いところを平日にやると時間がかかってしまうので、重いところは休日に回すようにしたほうがいいな。そのため、分野別の内容の重さをメモしておいて2周目にやるときには重いところを休日に持っていくようにしたい。

コロナのことでリモートワークをする会社もあるそうで、電車が通勤経路の途中からがら空きで驚いた。
家で勉強する時間だんだん増やして毎日5時間くらい休日は昔受験生してたときくらいするようにしたい。

残業

いつも行ってるカレー屋さんに手伝いの人が来ていて、店主の人が一人でやってるときより楽しそうだった。

 

ケバブ丼買って帰った。ケバブ丼よりケバブのほうが美味しいと思うけど、旦那が作ってくれた味噌汁はとても美味しかった。しあわせ。

私が考えた太田胃散のコピー

あの事務所の窓に

ホームを行く人の逆さまに映りける

夜はひとり

空泉湧く新宿駅

右向きの矢印

髪を切ったゆるい夢

カメラの球体ににじむ木造の死に体

追い詰めて生きる

軋轢は心に問うもの

健全は心に問うもの

変電設備の窓に写った貧しさは

心に問うもの太田胃散

二人で暮らすことと制限

火垂るの墓を久しぶりに思い返して、二人で暮らすということはかなり危険が伴うということを今一度思った。私からしたら人が2人以上で暮らすと必ず何かの病理が把握しきれないほどに広がって、私自身の立ち位置を覆いつくして身動きがとりにくくなってしまう。

二人で暮らしているとちょっとした「こうすべきだけれど面倒だからやめよう」みたいな気持ちでも、「面倒だからやめよう」という気持ちが二人分になって、「こうすべきだけれど面倒だからやめようと思うけれど、けどやはりやるべきだからやろう」という風にできなくなることが多い。その結果貧困に陥っているような人もいると思う。

 

それだけではない。一人で生きているのであれば、何らかの窮地の場合に、土下座をして助けを乞うもまた一興と思うかもしれないが、人に愛されている私としては死ぬ目に会うまで土下座なんぞする気にならぬというような問題もある。

 

私はなぜか人との関係をうまく構築できない。それはたぶん私が他人に対して抱いている不信のためなのだが、それはやりようによってはただのこだわりと思って、捨てることもできると思う。それはある日決断することによってではなくて、私なりのオリジナリティーある、ルーツある考え方の納得によって。

とにかく私の人生は平和な世界にあるのにまともに不信に向き合うとここは常に戦場で、火垂るの墓でも読んでたほうが心が安らぐくらいだ。アメリカひじきとか。

 

ひとつわかっていることは、私はだらしなくなってはいけないということ。仕事から帰ってくるのが遅いから勉強しないとか、今日は勉強しなくていいとかいう甘えは絶対にダメ。そういうことをしたら、結局自分が貧しくなるためだけに東京に来たことになる。旦那とだめになるために東京に来たことになる。私は東京へ身を立てに来たのだ。そしてちゃんと稼げる人間になって旦那の実家に行って、家族を手に入れるぞ。

 

今日は旦那はセブンイレブンで買ったクラムチャウダーのパスタを、わたしは公園の売店で買ったペヤングソース焼きそばを持って公園のベンチで食べて楽しかった。

 

人生に対する主体性はいつも持っていたい。そのためにできるだけ人が少ない場所まで上り詰めたい。

 

火垂るの墓

私はこの映画を見て子供時代、弟を守ってやらなければと思ったものだ。あれは一種の病気で、私の前には戦場があった。まるで模型のように私はこの世界を俯瞰していた。できるだけ正しい選択、できるだけ正しい毎日を積み重ねることで世界は開ける。そう信じてきた。

 

節子の年齢を4歳にしたのは設定としてあざといと思っていて、もし節子が7歳とかなら、節子お前にもなんかできることあっただろとなるのに、そういうことするからただのお涙ちょうだい作品。

私のこだわり編成史

子供時代

父親が母親を殴っている
→暴力はよくない。警察は頼りにならない。公権力への不信。
親は浮気をする
→浮気は良くない。被害が大きい。人間関係の普遍性の崩壊。
親が怒鳴り合っている 
→怒鳴り合うのは良くない。理屈は関係がない。弱いものへの親近感。
親が仕事を転職する →一つのところで働かなくても良い。職場をうつると年収が上がる。
親は海外経験豊富→海外経験のない人は世界が狭いと思う。海外経験のない自分を卑下する。
親が分譲を買う→持ち家の安心感。
万引をする→無銭経済へのあこがれとお金を払うことへの疑問
親は外国語を話す→話せない自分への失望。外国語ははなせたほうがよいという考え
友達はゲームをするが私は買ってもらえない→できないことには無関心になる。
作文をほめられる→書くことへの愛
親に好きなことを話せない→書くことに開放感を覚える。
読書すると文がよくなる→読書好き
自分のホームページをつくる→日記を読んでもらうことに対する面白さにやみつきになる。
ひもじい→食べることへのあこがれ、悔しさ。

家族関係に対する嫌悪→法に対する関心。

 

 

成人後

本が読めなくなる→勉強をする生活の崩壊。読むという行為がわからなくなる。行動の真髄に対する関心。
発達障害への関心。悩みを書き続けることでブログに対する思い入れ発生。精神病に対する理解。
バイトで労使トラブル→雇用者に対する反発。公権力ほか大きな力に対する不信。LCCで旅行が可能に→中国の居心地の良さにはまる。

旦那と付き合う→勉強以外の人生の楽しさ。人といることの楽しさがわかる。自分はお金を稼ぎ続けたいというこだわり。二人分の生活をちゃんと続けていきたいという思い。金銭への関心。
親が死ぬ→寿命への不信。年齢偏重主義への疑い。社会的活躍に対する懐疑。初戦人間は単に生物である。
中国の食文化と安価でも良いものが食べられる環境に惚れる→食事への探究心ふかまる
就職する→人のためにならない仕事をしたくないというこだわり。時間に関してよく考えるようになる。大企業へのあこがれ。

田舎生活→田舎生活はHSP体質に優しいという気付き。

転職する→必死で働くことに対する疑い。大企業に対するあこがれがなくなる。中小企業の機動力に対する感心。生活の安定を失うことの恐怖。食品に対する愛の再確認。

工場勤務からオフィス勤務への変化→社会の仕組み(大企業は儲かる末端製造業は儲からない。仕事も危険。身体欠損が生じる。)に対する反感。自営業に関する関心。

 

あとがき

思うに私が生きてきた子供時代は精神病というものが取り上げられ騒がれた時代だったのではないか。そして高度成長期のサラリーマンに育てられた両親の世代の多くが留学を経験した時代だったのではないか。その後バブル崩壊があり、思うように給料が上がらない両親世代は転職を繰り返した。彼らの世代のフラストレーションは想像するに難くない。私の世代は生まれたときから不景気就職難一直線の生活であり、学歴はなければ金を稼げるようにはまずならないだろうと思う一方、大きく報われることはないので、金銭以外の喜びを追求する必要もあった。そのための手段もまた勉強であった。そのため給料が低くてもやりがいのある仕事を選ぶ傾向にあったのではないか。

大学卒業とともに景気が回復し、生物的な繁殖適齢期を視野に入れて、家族を持つことを考えるようになると、やはり給料が安すぎるため転職をした。とはいえ金銭に対する関心はそれ以上には膨らまず、もっぱら読書と仕事の両立に悩んでいると言う状況である。またこのようなメンタリティの人が多い世代であるから、貧しさへの恐れはあるが金銭への関心は希薄という特徴をうまく掴んだミニマリスト文化が流行しているのではないか。つまりあれは、貧しさへの恐れを支出の少なさと貧しそうな見た目の回避という方法でカバーし、金銭を稼ぐことに対する関心がどうしても希薄になってしまいがむしゃらに働けないという悩みを、支出を減らすことでそもそもそんなに働かなくても豊かな生活ができるという万全の受け皿として機能している。環境を変えるのではなく自分自身を変えたり生活を改善することが好きという勉強熱心な平成人の特徴がよく現れていると考える。