いのちばっかりさ

生きている記録。生業。通信制大学。天平の甍、生の短さについて、狼煙

処女は女にとってだけ必要で大切なものという意見

は有名だが、新しいもの好きなら処女の素敵さはわかるんじゃないのと女的に思う。特に相手の男性も初めてだったらいいと思う。

 

何人もの人とすると、何かと重ね合わせたりとか、何かを思い出したりするのに忙しい瞬間をなん度も繰り返すので、「また同じ場面だ」というような気持ちを何度も味わうことになり、それがつまらない気持ちを呼び起こすと思う。

 

転職とかも同じで

新しい仕事をすることが目的になると、また同じ場面が、的なのが多くなり、仕事自体に飽きると思う。

 

新卒を会社の人が欲しがるのも、初めてのことを体験している若い人を見ると気分がいい。そしてその場面に一緒に刻み付けられている俺の面影!という感情を持ちやすいおっさん達の性癖だと思っていて、変態の一種だけど、変態と見られない場面でみんなそんな性癖を発揮するためにまことしやかな理屈などを繰り返しすぎて心配なレベルになっている。うへへ。

 

私は違う人と「また同じ場面」を繰り返すより、同じ人と「また同じ場面」を繰り返してその中に生まれる変化とか新しさを発見して味わっていきたい性癖なので、実は仲良くしていく人はとてつもなく少なく絞っていきたい路線。

 

ちなみに私が男だったら明らかに処女と付き合いたいと思う。過去の男の影とかそういうエモさより、そういう物語は俺から始めてくれタイプだと思う。うわー

オススメの筆記具と英文履歴書

英文履歴書を初めて作った。

最近会社が結構嫌になっていて、というのは、誰も合理的な値切り方を教えてくれないのに値切ることだけ強いられて、世の中に顔向けできないような気がするからだ。

 

英文履歴書はずっと作ろう作ろうと思ってきたんだけど、きつくて、なんか難しそうで、先送りしていた。でも作ってみたら日本語の履歴書より簡単だし、書いていて気持ちが良かった。特技とか、志望動機とかをコンモリ書かなくていい。

 

私の名前、住所、希望職種、貢献できること、活かせる経歴、活かせるスキル、経歴、受けた教育(最終学歴)、その他

 

だけ。

顔写真もなし。すごくいい。こういう世界で採用されるような人になりたい。なんかハードルが高くて作れていなかった英文履歴書、全然いい。素敵だ。うまくかけているかは別として。あと結構ハッタリがかませる構造になっていると思った。これでハッタリを書いても、実務で活躍できればOKみたいな油断も隙もある感じがフォーマットにあふれている。実際人なんか雇わないとわからないし、とか思う。

 

第一印象だから正しい解釈じゃ無いかもしれないけど。

 

仕事を始めてからハマっている筆記具を紹介。

ミドリ ノート MDノート A5  方眼罫 15003006

三菱鉛筆 油性ボールペン ジェットストリーム 1.0 黒 10本 SXN15010.24

 

ノートは方眼の色と存在がちょうどいい。でも実際方眼とか無視して書いているけど、方眼の存在がなんとかノートをノートたらしめているきっちり感。

下のボールペンは、自分のノートを読み直せない私が唯一ちゃんと読み直すノートを書けるボールペン。これだけで十分すごい。読もうとすると目が泳いでしまうのが常なのだが、このボールペンは目は泳ぎつつもちゃんと文字を認識できる。愛用。

 

履歴書を書いていると、「あれ、今月全然面白いことやってないじゃん」「アピールできることないじゃん」と思う瞬間があり、この職場もう離れたいよーと思っているけれども今月も何か面白いことをやらないと履歴書に書けないやと思うのだけど、うーん難しいな。

 

この職場の何が不思議って、働いている人がほぼ全員、キャリア観とか、自分のやりたい仕事を選んで働いていく、という考え方とか、ポータブルスキルとかいう考え方が皆無であるのが不思議。

 

そのため、普通にキャリア観をもっている人は当然ブチ切れるような人事異動とかを平気で発令する。そして「君は生産管理として雇ったけど、今度専務の推薦の人が入ってきたから、君には仕事がなくなった。そのため何とかして会社内で仕事を割り振ってあげたいと思って工場内に君を異動にした。」とかいう内容のことを言ってくる。何とかして会社にいたいだろう?というわけだ。だが頭がおかしいと思う。キャリア観というものがある人にとっては、またこれまでキャリアのために苦労してきた人にとっては、屈辱でしかない。単純労働をするならこんなに苦労してこなかった、馬鹿にするな。というわけ。別にこんな会社にいなくていいです、ってその時に言えるように準備しとかなければならない。そしてこの会社は危機管理が死んでいるので、工場に入ったら寿命が縮む気がするので、私なら嫌だ。

 

会社の人がこんなに気を使って私に仕事を割り振ってくださる、ありがたい!などと思ってしまうようになっては世も末だと思う。とんだお荷物社員だと思う。こんな世界で普通の精神を保つためにはジョブホッパーになるしかない。もっと勉強するしかない。

私生活とジモティー とわたし

私生活ではジモティー でものをあげています。

 

ものを減らせば新しい仕事につけるぞと思っています。願掛けみたいなもの。もちろん求人応募とかもしている。

 

早く寝たいと思っているのになかなかだょうどよく眠れない。

昇給とレジャーとわたし

昇給があったけど、一緒に働いてる同期と昇給額が同じで、年数の多い人はもっと多くて、結局一律で昇給されてるんだと思うと萎えがひどい。いらないわそんなん。増税分の何十分の一も賄えない。

偉い人の給料が減ってその分若い人のが増えてるらしい。逆にそんなこと聞いたらやめたくなるわい、と思った。

 

働いてる人にうんざりしてる。

なにかと外食とかレジャー費かかってしまい、千円、二千円の出費だけど経済的にというより精神的に辛い。払わなくていいお金だから。

受け身な人間としてのわたし

わたしはゆっくりと時間を過ごしたことがない。それはわたしが受け身な人間だからだ。わたしは父が死んだ時、棺桶ごと人間を冷やしておく場所で、父を見ていられたのは多分ほんの3分位である。

 

わたしの視線は極度に吸い寄せられた。そして色々な人が部屋に入ってきた。今わたしはあの時の人間冷蔵庫よりさらに寒い食品冷凍庫で仕事しているのだが、冷やされているものを見ている時、不思議と父を見ているような無心な気持ちになる。寒すぎるからなのだが。

 

わたしはこの部屋にしばらく1人にしてほしいということさえ思いつかなかったし望むということを知らなかった。受け身な人間だったのだ。いまわたしが執着するものは旦那だけで、他のものに関しては人間冷蔵庫の時のように受け身でいるだろう。

 

他のものはぷちりと引きちぎられるようにして視界から消えていくのだ。