いのちばっかりさ

生きている記録。生業。通信制大学。天平の甍、生の短さについて、狼煙

こう考え始めた

数ヶ月前(多分3ヶ月くらい前)から突然こう考え始めた。周囲の物事は1か0で説明できるということ。生まれるか産まれないかは1か0でしかない。金があるかないかもそう。病気があるかないかもそう。

自分がそれを好きと思うか思わないかもそう。

因果関係などについて考えすぎるとおかしくなる。トライアンドエラーが大切で、自分が1がよいのに0になっているとしたら1にするまだトライし続ける。そして1にならなかったとしても1か0かの片方になっただけだから気にする必要ない。0が好きなら0のままでも良い。

そう考えられるのは私がある程度の簡単な因果関係が考えなくてもわかるようになったからかもしれない。

自分は最近生きていて旦那が元気ならそれで良いので、それ以外のことはあえて1にせず0生まで逃げ足の速さや身軽さを優先することにしている。これが子供がいると死んだ後に金に困ると大変とか言って生命保険にはいったり、死んだら家のローンがチャラになるローンを組んだり、支度に余念がない。

たまに友人の子供とかに会うと、イナゴのように食事してて稼いだ金がこんなに食われるとは、と恐れ慄く。旦那と2人で生きていく分には相手はこの先食べる量が減るだけなので良いが、子供はその先十数年も食べ続ける。

家に畑があるとかでなければどうしようもない。