いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

村上春樹ごっこ

父の前歯がヤニ色だったけどいつもキラキラしてたことを思い出した。そういえばあの歯は継歯だったのだ。本人によれば池袋ですったもんだの喧嘩をした時に折れたもので、母の両親(私の祖父母だが)に結婚したい旨挨拶しに行ったその日に折れたままであったところのその歯なのであった。たぶん。いかにも村上春樹を読んでいそうな世代のやることだと思う。もちろんその折れた歯の事実は祖父母の顰蹙を買った。

 

旦那が私のあご骨の形が自分のと全然違うと言って感心していた。「健康そう」なあご骨の形らしい。それ自体は全然よくわからない言い草だが、我々もこのようにしてお互いの骨格などを覚えていくんだと思った。子供の時父の歯を見た以上に、吸い込む気持ちで旦那の色々を覚えることができるだろうか。そしていつか死んで、誰も自分を覚えている人はいなくなり、この記憶もこの世からは無くなるのだと。

 

いつか子供ができて、消えるはずの骨格の記憶などが引き継がれると思うと、それは勿体無いことのように思えた。私と旦那だけがお互いに覚えていれば良いことであり、子供など邪魔者でしかない。余すことなく一気にこの世から消えていくのがいい。生き物としての生殖欲求を裏切って二人でいてはならないだろうか。

 

私たちがどんな辛酸を舐めようとも、それを他人が知る以上に、お互いがわかっていればいい。私が気持ち悪い環境で育ち、恐怖に席巻することが好きであるということも、そう他人に思われるより深く、お互いがこのことを知っていればよい。

 

同じ布団に寝転がり、村上春樹の小説に出てくる男女の会話の真似をして爆笑した。仕事が辛いからと言って、健康が優れないからと言って、金がないかと言って、友人と連絡が取れなかったと言って、それが一体なんであろうか。我々は限りある命を生きているというのに。

 

 

今週のお題ゴールデンウィーク2018」