いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

引っ越しと家

引っ越しに向けて雑事が大量にある。旦那と協力して片付けている。もし共働きだったら、こういうとき二人とも疲れ切っていただろう。そもそも共働きだったら、自分の転勤に夫が付いてくるというシチュエーションがなかったのではないかなとも思う。二人で一緒にいないとつまらないから一緒にいたいものだ。

人間も猫と犬のように移動に強かったり弱かったりする個体がありそうだと思うが、どうなのだろうか。やはり帰る家がなくて転勤を繰り返すのは大変だ。 

これで実家とかあればと思うが、旦那の実家の周りでは仕事がなくて扶養家族が増えるだけではなんの生活の糧も得られないし、自分の実家は変えることを想定していないし帰らないように言われている。

家族がもうどこにもまとまって住む場所がないし一時の寄留地もないというのはとても大変な気持ち。高齢になったときどこに住むのかわからない。また今からどこかに家でもローンで買ったところで払える気もしないし、家賃手当が出なくなるからお金もなくなってしまう。

 

このような家庭で相方が失われると人生を記憶している人が自分しかおらず、また転勤続きで話す友達がいない場合、それらの記憶も同じものばかり思い出していつか本物の記憶を感傷が塗りつぶしてしまうだろう。例えば昨日二人でローソンへ行くデートをしたことなどを、そのとき手が温かかったことを誰も覚えていない。私はいつかくる死を恐れずに目的のために身を投じることができなければ、何もできずに死んでいくことになる。だからそんなことばかり考えるのは良くないだろうと思う。

 

話は変わるが親が離婚などの理由で片親となった子供に適切な経済支援がされるためにはどうしたら良いのだろう。前澤友作さんが養育費の取立のサービスをしていたけれど、あれは頓挫してしまったのだろうか?当時非常に良い話だと思っていた。手数料が掛かることは当然のことだが、本来あれは行政がやることだと思う。自分がもし将来弁護士になったらそういう仕事をしたいなと思う。

 

儲からないだろうから一生分まず稼がなければいけない。