いのちばっかりさ

生きている記録。生業。通信制大学。天平の甍、生の短さについて、狼煙

不正な資料を作らない

不正な資料を作るように依頼され続けている。というフィクションの話をしよう。

断ると役職者も含めて何回も会議を設定して何回も同じ資料を見直させられる。私の資料は頑固にさらに真に迫っていくのだが、真ではない資料を作るように毎日のように依頼され、確認される。こちらのデータで作れと言われる。こういう手口があるのだなと思う。一見親切にしているようだし、自分でもそう思っているのかもしれないが、また区別できないような態度だが、不正に引き摺り込もうとしている。私の資料は頑固にさらに真に迫った形になっていき、もっと誠実になっていく。いつもならこんな資料に時間を使わないから、呼び出されるたびにもっと精度を上げて、面白い作り方をする。

私は経理人として不正な報告はできない。と思っている。私は決して与しない。と思っている。

だって報告しちゃったんだからその数字に合わせてよと言われても、そんなこと知るわけもない。勝手に報告したんじゃね?どうせ私より先に死ぬ人のためになんで私がそんなことするわけあるの?

 

私より年上の人の言うことなんざ私は気にしていないという友達の言葉を思い出す。逆に年下にそれをやるように言われたら、お前若いのにそんな不正なことしていいの、と泣きたくなってしまうけどやはりやらないだろう。

 

どうしていつもこの圧に遭うのだろうと思うけれど、それは私がきっと一番実務に近いところにいるのだと思う。実務をやっていない人には生の数字の動かし方がわからない。わからないのだ。いくつものモジュールで管理され、作業で動かす仕組みになっているから。

 

そして実務をする人間が一番不正に晒されやすい(なんの得もないのに)ということを忘れはせぬ。