いのちばっかりさ

生きている記録。生業。通信制大学。天平の甍、生の短さについて、狼煙

デイリーポータルZを読んでた時間は暇だったのか?

デイリーポータルZが独立して、デイリーポータルZを励ます会ができた。そしたらデイリーポータルZにはすごく暇を潰させてもらったということをポッドキャストで話している人がいて、だからデイリーポータルZを励ます会に入らないとと話していて、その時私はデイリーポータルZを楽しいと思っていた自分のあの時間も暇だったのだろうか?と思った。

私は自分が暇だと感じたことがなかった。デイリーポータルZだって必要な情報、求めている情報だから見ていると思っていた。暇つぶしのつもりなんか微塵もなかった。でももしあれが世の中で言う暇な時間なのだとしたら、暇ということが理解できた気がする。急に理解できてしまった気がする。でもそれをあえて暇つぶしとか暇とかいう必要がわからない。私は退屈していなかったし、でも退屈してなくても暇なんだろうか?でもあれが世の中で言われている暇なんだとしたら、私にも確かに暇があったんだろう。そう思うと30歳くらい歳をとった気がした。でも無理に私は暇だったと思わなくて良いと思った。暇ではなかったのだから。私の中の何かの感情は常に狂ったように会話しているのだから。