いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

両家って何

コロナ禍で、というか私があんまり親を旦那の親にあわせたくなかったので、両家顔合わせがここまで伸びてしまった。そしてまた企画した途端にコロナ感染者が増加している。昨日東京は18,000人ほどと、20,000人に届く勢いだ。それでも実行すると両方の親が言うので、決行することになった。

金を死ぬほど使うので大変だ。昼ご飯を一緒に食べる場所も、母が泊まる旅館も私達夫婦と旦那の両親で負担せねばならない。これ一回やれば二度あることではないからとなんとかやる。旦那の両親は年金生活者なのだが旦那のお父さんが郵便局の夜の仕分けバイトにいっている。いつになったらこういう行事を前向きな気持ちで行えるのだ。多分ないだろう。私はお金を一気に使うのがとても嫌いなのだ。生活のために必要なものを買って生きていきたい。

 

両家顔合わせのことをいっておいて何だが、私は家族とは全然関係なく暮らして生きていきたい。私は家族に相談すると、家族のことが苦手すぎて、家族が言ったのと反対のことをやってしまう。わざわざ自分の人生を破壊してしまう。私は親に自分のやっている仕事のことを話したくない。保証人になってくれと頼みたくない。なにか悩んでいるときに、保証人に迷惑をかけたいでね?と言われたくない。保証人に迷惑をかけない確信の持てる仕事なんかどこにあるのだ。だからこそ保証人をつけさせるのに。

 

親の意図から逃れるために私は人生をいたぶってしまう。人生がメタメタになってしまう。これまで一体どの部分が自分の自由な人生だったのかわからない。旦那を好きになったことくらいは自分の自由と思っている。基本的に親のことで私はおかしくなる。私のことがうまくいかなくて親のすべてが否定されれば良いと思う。自分が死んでもそのせいで親が死んだら幸せだと思うくらいに親のことが苦手だ。どうして片方の親が死んだのにまだ片方は生きているのか?いっそ自動車事故のように突然両方死ぬような出来事であったなら……。

 

私は保証人無しで働けるようになりたい。どうせ十年経てば親も働けず、保証人になれなくなる。保証人無しで働くそのことを夢見て何度でも練習している。その瞬間を。私は保証人がいないですが、これまでの実績からいって、保証人の必要性はありませんよね?もちろんですとも。ではこれで、入社していただきます。はいわかりました。みたいな感じ。

 

幾度も暗い川に沈めるときを夢見る。それは静けさとともに解放する。眼の前には青い山が広がっている。私は親のために眺めの良い部屋を予約した。そして暗く静かな川に沈める夢を見る。その夢を見るために私は親のために眺めの良い部屋を予約した。眼の前には青い山がいっぱいに広がっている。その青さが苦しさと清々しさと湿っぽさをもたらす。平等川は流れる。私は決して家族にはなじまない。その結託に、抗って生きていく。自分の人生は個人のものだ。何度も蹂躙して自分自身でもまたぶち壊しにした人生を掴み、これも私は平等川に鎮めよう。親を殺す代わりに自分は自分自身を殺して、平等川の浅い流れを薙ぎ払って。家族を持ったものが幸せなのではない。私は家族のない人が一番幸せになる世界を作りたい。

 

平等川がすごすごと音を立てて流れている。

 

私の親は世の中の酷さについて全く知らないで、お嬢様なのだ。そこを地獄と知らないで地獄に行くように人に強制するようなことを平気で毎日行う。自分が親からもらったものに守られていることを知らないで、同じように違う人がその扉を叩いたら剣でひとつき殺されて心身ともに再起不能になるような道を平気で強制する。この20年ほどは親に世の中の酷さを説明することをしてきたけれど、なんの意味もない。守られている人はなお相続によって守られている。私は世の中を良くするようにしなければいけないのに、どうしてこんな個人的なことのために時間を浪費したのか。