いのちばっかりさ

生きている記録。生業。通信制大学。天平の甍、生の短さについて、狼煙

普通に子供できないので話が変わってくると思っている

子供の頃からなんかしらんけど避妊しないと子供できますよと言われて、「避妊しないと子供できるのだな!」と漠然と思っていたが、普通に避妊しなくてすぐできる人ばかりではないというか、そういうやつではないと気づいて「これは話が変わってくるぞ」の気持ちである。

また避妊しないと子供できるぞと言われるときに「できたら育てられるんですか?経済力もなくて?」という戒めがセットだったが、「別に誰かが育てればいいだろう」という気持ちになっていて、過去の自分にそう言える世界になって欲しい。この国で子供育てられる経済力を身につけることは普通の人間に可能なんですか?しかも若いうちに将来のことを見通すことはできない。

「いま日本国の土地の上で牛乳パックを手に持って、手をはなしたら重力によって床にそれが落ちる」というくらいの確実性で「育てられる」ということは不可能である。

 

具体的に今何を思っているかというと、転職したりして年収を上げていかなければいけないフェーズにおいて、こどもができるのかできないのかわからないことは厳しいということだ。普通に生活していて、それが転職したばかりであっても、産休手当を受け取れるような制度がなければ転職活動は一時ストップせざるを得ない。

 

例えば転職先が見つかるのかわからない、良いところがあったら転職したいと考えているときに、子供ができるかできないかはわからないと考えながら、さて転職が決まったときに内定が取り消されないかとか、金がなくならないかとか考えることは厳しすぎる。おかしいし、それほどの不確実性の増えた人生を送ることを「まあいいだろう」とするのはおかしい。お互いに人間がかけがえのない一日を送っていることを前提にして、不確実性によって塞がれることのない制度設計が求められる。

 

なんか働けなくなったときも子供が育てられるように保険に入って…ということもよく言われるけど、それだとどんどん保険に入って保険のために毎月20時間くらい働くことになったりしてどうかと思う。

 

何を言いたいかというと子供は洗濯機のボタンを押すと洗濯が始まるようにできるのではなくて、作ろうと思って運が良いとできるみたいな話だったということで、その不確実性に加えていろんな不確実性に向き合わなければいけないために女性の人生はというか家族の人生は更に不確実なものになってしまうという話でした。