いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

登山をしながら銭湯をやりたいことを話した

登山をやりながら、銭湯をやりたいと思っていると友人に話した。友人といっても1年くらい会っていない。久しぶりに会ったらなんだか痩せていて話し方も自信を無くしたようになっていた。

銭湯をやることを話したら、私もやりたいと乗り気だったものの、最後には、今のコンサルの仕事で有名になって、銭湯をプロデュースする方が良さそう・・・みたいなことを言っていた。基本的に誰でも今の生活や仕事を続けていって、世間的に成功と認められる存在になってから好きなことも自分に寄ってくるはずと思っていて、またそう思い込もうとしている。

特に私たちは大卒だから、大学の学費を払った分、世間的に認められなければいけないという圧力が自分に対してあるらしい。私としては敢えてその圧力は無視しないと苦しむだけだと最近思っている。自分で勝手に思っていることだし。世間的に成功と認められるような成功を得ようと思ったら、命を世間のために使うしかない。命というのは、つまりは時間と、気力を。自分のお店を持つことは望ましい。事業が全くうまくいかないときでも、自分のために仕事のことを考え、自分がやりたいと願うところに近づくために、そのために苦しんで世間と折り合いをつけて暮らしていくのがいいと思う。世間でやっていくために(会社で昇進したり有名になったりするために)苦しんでいるだけでは、辞める時も苦しかったと思うだけだろうな。仕事についてそう思うとすれば、人生についてもそう思うだろう。

仕事のことを自分の子供のように思いたい。他で働いている時も、そのお金で自分の仕事をどんなによくするか考え続けるのだ。そうしたいものだ。

 


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 夫婦で一つの仕事をできることは私にとって非常に重要であるように思える。

 

この友達、銭湯の物件が買えないなら自分で土地を買って作れば良いと言っていて、それは確かにそうだと思った。自分で作れば壊れた時も仕組みがわかるから自分で直せる。あとわかったことは、私は今満27歳だけど、この年になると大体の人が将来住みたい場所を決めてるから、将来一緒にこれをやろうみたいなことが難しい。