いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

有効求人倍率と仕事

 

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2020年9月有効求人倍率


 

 僕はよくわからないけれど、基本的に求人倍率(一人の求職者者に対していくつの求人があるか)は下がっている。つまり仕事を探してもありつけない可能性は昨年より増している。上は今年9月のもの。下は昨年9月のもの。

元データは東京労働局(ハローワーク)。

jsite.mhlw.go.jp

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2019年9月有効求人倍率

 

簡単なことしかわからないけれど、

ちょっと見ただけで昨年9月と今年の9月を比較すると、東京の有効求人倍率が1.77倍から1倍になっている。求職するとき1.77個の求人から自分で選んで就職できていたものが、一人の求職者に対して1件しか求人がないから、これはもう選んで就職することができない状態。簡単に言うとそういう状態。厳密にいうと職種によって倍率が違うのでそう言い切るのは間違っているのだけど。

 

単純に考えをすると、ここ数年のうちに簡単に転職できた人でもいま簡単に転職できるとは限らないということだろう。私も含めて。

でも結局仕事なんてそんなものなのだ。人の能力なんてあの人とこの人の能力の違いなんて論じる対象ではない。こういう突発的な事態によって混乱に陥るこの世界は、昔よりよくなったとか悪くなったとか論じる対象でさえない。ただ生きているだけだ私たち。

景気のよいときはなにか意味のある事のように成功を論じる。雲散霧消した後に残るのは自分の信条にのっとって仕事ができるのか否かという冷静なこだわりと自問であり、また人々は自分の性格について、自分の生活について語り始めるのだ。

 

生活についてできるだけ多くのものを自分で生産できるようにならなくてはならない。その思いを私は新たにした。この感覚は生まれてからずっと不景気であった平成生まれの私が、生きながら手に入れたものだ。景気が良いときには散財せず蓄財をして、景気の悪いときには学費をねん出して勉学に励む。

 

簡単に転職できないようなら、むしろ自力で調達できるものを増やし、働く必要を減らしていき、失業しても仕事を探すことのない自分になり、求職者数を減らして、求職する人のために有効求人倍率を上げていく覚悟である。それこそが蓄財できた人が蓄財できなかった人に対してできる最高のことだと思う。こんな時には買い控えなければと思うのなら、こんな時だから仕事をするのは控えなくてはというのもあっていいはずである。

 

働き控えが推奨されないのに、震災時などに買い控えや旅行の自粛などが大々的に行われた(と私は思った)状況だったのは、人がただ一斉に何かの雰囲気に浸ることが好きであり、実際に他人を励ますことには無関心であり、実際に他人が困ることや誰かが弱い立場に陥ることはむしろ望んでいて、何かの理由をつけて人と人との差をつくりだしたいと願っているからじゃないかと思う。私はそのような風潮がすごくいや。

 

会社でも不正をしようと思えばできる状況を放置しており、追い詰められた人間こそそういった不正(どうせばれるからやるのはおかしい人だというような短絡的な不正)を犯すのに、そういったところに人を貶める可能性を放置していることには無頓着でいるのは、大いに批判されるべきであると思う。この世界からそのような可能性は費用をかけても排除されるべきだし、逆にまっとうに生きるための援助なら、してもしすぎることはない。私は大いに人を励ましたい。

 

このようなことは非常に勝手な感想なので、自分のブログにしか書けないようなことである。だから私にはブログが必要なんである。ブログに書くことで自分の外皮が厚くなり、大切な精神を守れる。