いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

3連休最後の日、最初の日みたいな気持ちがしている

3連休最後の日なのに、なんとなく3連休最初の日がまた戻ってきたように感じているけど、実際はそうではないので不思議な気持ち。

 

最近ブログを書くにも一番書きやすいこのデバイスを出す心の余裕がなく、もっと小さいスマホとか、昔使っていたパソコンとかで書いていたのだが、やはりうまく書けないので、いつものデバイスを使うのが一番いい。

 

家の裏から桜並木を見ることができるので、とてもうれしい気持ちになっている。今日は花見しなかったけれど、買い物に行ってパンとヨーグルトを買った帰りに、ちょっと自転車をさらに漕いで前から行きたかったパン屋へ行った。そこで買ったホワイトフィッシュバーガーとチキングラタンパンはとてもおいしくて素晴らしいと思った。町のパン屋だけど、自宅感がなく、きちんとパンは陳列されているし、売る人と作る人は違う人だし、陳列の仕方に少し工業的なものを感じるのだ。この感じ、ほかの場所でもあったのだけど、全然どこだか思い出せない。

 

自宅の階段の下に葉脈のない奇妙な葉の植物が芽吹いてきて、ちょうど踏まれない場所なので、気づいたときには葉っぱが3枚にもなっていた。どっちにしろ葉脈がないわけはないのだから、ちゃんと見ればあるんだろう。明日朝になったらよく見てみようと思う。

 

なんかどうしても早く起きたいと思っても早く起きれない。こないだ2日くらい続けて早く起きていたことがあったのだが、あれは何だったのか。やるべきことがなかなか取り掛かる気になれなくて、夜にまで持ち込んでしまう。そうすると結局眠すぎて寝る。はてなブログでも使っている人が何人かいるGerminのスマートウォッチを私も使おうかなと思っていて、今自分のエネルギーどのくらい残っているかを教えてくれる機能がある。これを使ってエネルギーがたくさんあるときにやるべきことに取り組む癖をつけるなどできたらなと思っている。

 

春眠暁を覚えずという言葉は、ちょっと言い訳みたいになる。私が言うと。

 

ちょっと寝てちょっと起きてやることをやるみたいなスタイルもやってみたいが、毎日出勤しないといけないのでリスキーで試せない。なんとかならないのか、この出勤という嫌な習慣は?出勤のせいで自分のライフスタイルを模索することさえできないなあ。

 

転職を誘われていた会社が、今はコロナの影響で経営が厳しくなっているらしく、今度はその人が転職先を探している。不思議な怖い話だ。なぜかその会社に転職するのは今のところ思いとどまっていた。業界的にはとても魅力的なのになんでいかなかったのだろう。どんな会社もコロナのような思いがけない一つのきっかけで傾きかねないということを思った。思ってはいたけど、やっぱり目の当たりにすると、何も確か依り代などないなあ。その不確かなもののために毎日長時間かけて通勤するのはなんだか馬鹿らしく、職場は近ければ近いほどいいや。

 

みんながそんな気持ちになって、自分の近所から仕事を選ぶようになると、そもそも人があまり日常的に移動しなくなり、交通費をみんなが使わなくなって経済に影響があるのかもしれないけど、その時はその時だよなあ。自転車で通勤している友人がいて、とてもうらやましい。有名な会社も有名であるにもかかわらず近所の人しか働きにこないようになれば、せめて手に入ったその人材を育成することにやる気を出すだろうか。

 

ところで今生活していくのに二人で毎月18万円くらいかかっているので、仕事が無くなると結構困る。この結構困るという状況はあまりよくないと思っている。別に仕事なくなっても1年くらいはバカンスと思って大丈夫、と構えていられればそれはいい感じだと思う。会社からもらう月給が頼みです!という自分の今の生活の形態、どうしてもいやになる。前の会社で働いていたときは、家賃手当でやっと家が借りられる自分の生活がとにかく嫌だった。今度は給料でやっと暮らしていける生活が嫌だというのは、もはや自分はサラリーマンの人格ではなさそう。

 

今日スコーンを作ろうとしたのに、全然スコーンにならなかった。失敗だ。こういう時なんで失敗したのか考えてもわからない。うーん。

 

桜餅が食べたくなって、駅前の和菓子屋さんへ買いに行った。ここの桜餅とてもおいしいですというと、おじさんがとてもうれしそうで、最後に蜜をつけて形を整えるので、どうしてもべたべたしちゃうんですけどね、と話してくれた。さくらもちがべたべたすると感じたことがないので、作っている人は食べる人と別のことを心配するのだなあと思った。ここの桜餅はもちもちしていてとてもおいしい。

 

www.youtube.com

 

 下の本を読んだけど、不愉快すぎた。こういう親に育てられたことのある人は、決してこの本を読んで、共感したり、「素直な生き方」などと肯定的なことは言えないだろうと思った。子供がいないから惚れた腫れたで成り立っているが、子供がいたらもう地獄だと思う。とか個人的な憤りからすぐに図書館返却用の袋に押し込んだ。なにか違うことをやろうとしているのに前やっていたことに未練を残しているような姿勢が大嫌いなんだと気づいた。それは金を稼ぐために、経験を積むために転職したのに食品メーカーの仕事楽しかったなーとずっと思って勉強をおろそかにしている自分自身に対する憤りでもあるんだと思った。

たまもの (ちくま文庫)

たまもの (ちくま文庫)

  • 作者:神藏 美子
  • 発売日: 2018/03/07
  • メディア: 文庫
 

 

 小商いのすすめという本を、前に移住して喫茶店やってますみたいな人の店で読んだことがあったけど、読み始めてから、この本の著者があの本の著者だということに気づいた。生きていくには基本的に飢えなければよくて、食べ物があればいい。お金がなくても食べ物があればいいというのは、その通りだと思った。ただし私の考えでは、人は貧しくても文化的でなければいけなくて、それはエアコンとかテレビを持っているとかいうこととは何も関係がなくて、自分と関係のないようなことを本で読んで理解したいと望み続けるとか、落ち着いて何かを調べられるとか、またそのようなデータソースにアクセスできる状態にあることが大事だと思っている。だから私は田舎に行くのには結構抵抗を感じている。私が田舎に行くことに結構抵抗を感じているのは、これはもうまさに、図書館が貧相だからだ。

「消費」をやめる 銭湯経済のすすめ (シリーズ22世紀を生きる)

「消費」をやめる 銭湯経済のすすめ (シリーズ22世紀を生きる)

  • 作者:平川克美
  • 発売日: 2014/06/20
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

いまちょっと景気が悪くなって、私はとても良かったと思っている。私は生まれてこの方、景気が悪かったので、この1年間くらいみんなが景気がよくなってきたとか話していて本当に気持ちが悪かった。自分はみんなが「頑張っても儲かるものではない」と言っているような世界が大好きだし、そっち方面にはもう消極的でいいのではないかと思った。というかうまく積極的になれないのだ。頑張って積極的になろうとしたことはあるけれど、全然うまくはまらない。そういう自分が情けなくもなるけれど、最近春になって桜が咲くと、いろんなことを思い出して、やっぱり人間なんか死ぬんだから、命だけ取られないように好きなように生きていったらいいんだと思う。そう考えることは誰かから見ればだらしないんだろうと思うけれど、だから何なんだと思ってしまう。もう26年間も生きていると、だから何なんだと思ってしまいたいことが多いに出てきて、そのことが人の気に障るのはわかるけれど、どうもうまくはまらないのだ。

 

私と旦那はいつも一緒にいるのだが、こういう自分の「だからなんなんだ」という気持ちについてはうまく話せない。この「だからなんなんだ」という気持ちを人に話したら、どんどん環境がだらしなくなってしまう気がする。だけどたまに自分の母のように「これをしないと落ちぶれる」「これをしないと人に負ける」「やっておかないと将来困る」「怖いものがたくさんある」とかばっかり言っているひとに会うと、「ほんとうにだからなんなの」と口に出していってしまいたくなる。そんなこと考えている暇があるのかと。私には世の中は騒音が多すぎて、全然集中できない。今日母から来たラインは「新興宗教は今も昔も流行っていて、本当に怖い!」みたいなネット記事のシェアだった。やめてほしい。

 

とにかくうるさくて平常心が乱される。そういう人間が多いから、心頭滅却して何事も感じなくなってしまわなければいけないのじゃないか。心頭滅却する代わりに私たちはだらしなくなるんだ。

 

 

 

 明日出勤が1時間遅くていいのでうれしいなあ。

 

人生で一番意味ないことは、あまりにも多くのことを気にして、「どうせ私の手には負えないんだから」と思ってしまうことだと思う。無気力が一番よくない。それならば「どうせ気にする必要なんかないんだから」と思って、自分で好きだと思うテーマだけ掘り下げたほうがいい。でも知識をつける面では、なんでもほかのものも読んだりしたほうがいいと思う。でも自分の人生について、「こうでなきゃ」「ああでなきゃ」と言われた時には、「それは気にしないことにしている」と言える自分でありたい。

 

私の場合は、「食」と「生活(そして健康)」と「稼ぐこと」かな。人とのかかわりとかその辺は「どうせ気にしなくていいんだから」と思っていこうというかんじ。でも稼ぐことには、興味はあっても、もっと会社で働いて稼ぐぞ、とか、上司に気に入られるぞ、というような点には全然興味を持てない。

 

最近宗教の勧誘の人が来るが、手短に言って、話している暇がないし、静かにしてほしい。「人間にとって幸せとは何なのか」とかいう問いにはうんざりだ。手短に言って「死ね!」と思う話題だ。私は人間ではなく私だから。あとこのブログはたぶんほのぼのブログではないと思う。ほのぼのブログ枠ではない。どう考えても。