いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

脳みそが脱脂綿のようだ

脳みそが働き過ぎて脱脂綿のようになった。とはいえおばちゃんたちより遅く出勤しているし、仕事量も前よりは少ない。なんで疲れてるのかといえば、やはり人間と同じ場所で何日も連続で毎日10時間以上作業したりすることのせいかなと思う。

 

やはり家族単位で起業しなければいけなくて、起業というより自力救済しなければいけなくて、そのための資格とか勉強をするべきだと思う。頑張っていきたい。

 

今勉強してる試験かなり落ちそうで、それだったらもう会社に搾取されてるだけじゃないかと腹が立ってる。個人として向上しないのに働き続けてたら意味ない。

 

今日はとても偉い人が会社を辞めて驚愕した。いいときだけ役員報酬を稼ぎ、悪くなったらやめる。こういう上司がいるのが外資かと思った。今までの感覚からすると、若い人がやめて上司が残されるパターンが一般的だったが、今度は若者が残されるパターンだ。

こんなに偉い人がどんどんやめるのに、ビジョンとかパッションとか言っていて、下々のものはお互いに悪口言い合っている。こんなのって不思議すぎるよ。

 

でも何かの試験を受けようとしてると一ヶ月ずっと給料と貯蓄のことを考えたり、家を買うことを目論んだりするばかり終わることがないから幸せだ。そのほうがいいと思う。

 

家なんか買っても仕方ない。土地なんか手に入れても仕方ない。そのことはわかっているんだけど。

自分の無意味さが、自分の無力さが怖いんだということはよくわかってるんだけど。