いのちばっかりさ

生きている記録。生業。放送大学。本を読む。入道雲100年分。

ほしいものなど何もない。ただ順調に金がたまってほしい。

旦那が信長の野望をやっていて、陥落すると「この城、我らのものだ!」っていう音がなるのだが、私には何一つほしいものがなく、食事も住居も無理してまですごいものを食べる気もなく。ただいま考えている自分の住居とか生活のスタイルを実現するために順調に金が溜まっていってほしい。それも今すぐ溜まってほしいというわけではなく、今色々と考えているので、その結果はゆっくりと成就すればいいのであって、そのために金は順調に溜まってほしい。そういった願いを成就させることのできるような社会が望ましいのではないか。

 

食べ物に興味はあるけど、私のそれは民芸的興味であって、先日書いた都会のお稲荷さんのような並外れた高いものとかには興味がない。

 

平成生まれの私はそのように考えている最近。

 

ところで私の信念とは最大多数の最大幸福なのだろうか。働き始めてちょっとわからない。私の信念は弱者の最大幸福な気がする。万物の幸福というのはなんか旅の僧ぽい。

 


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このブログ記事みたいに最近完成してないと思う中途半端な言葉コリ多いのだが、そもそも何かを生み出してることが尊いし、生み出さなかったらただ生きただけだけど生み出しておけば振り返ることもできる素晴らしい毎日なのだと思えてきた。そういうのがブログ。